法華経「方便品(ほうべんぽん)第二」解説の最終回。
釈尊(ブッダ)は、これまでのすべての教えが「一仏乗(いちぶつじょう)」という唯一の真実へ導くためのステップであったことを明かします。万物を貫く「十如是(じゅうにょぜ)」の法則、そして困難な時代(五濁悪世)においてこの法を信じることの重要性を説き、方便品は静かな、しかし確かな感動とともに幕を閉じます。
すべての教えが収束する「仏の境地」
仏は、なお語り続けた。
これまでに説いてきたあらゆる教えは、
衆生の機根に応じて設けられたものであり、
すべては一つの目的へと収束している。
それは、
一切衆生を、仏の境地へ導くことだった。
仏は明確に言い切った。
声聞の道も、
縁覚の道も、
菩薩の道も、
本質において別ではない。
三つに見えるのは、方便であり、
真実はただ一つ――
仏の乗り物、すなわち一仏乗のみがあるのだと。

一大事因縁:仏が現れる唯一の目的
この世界において、
仏が現れる理由はただ一つである。
衆生を、
仏の智慧へと開き、
その智慧を示し、
悟りに入らせるためである。
それ以外の目的は、存在しない。
仏は、さらに深いところへ踏み込んだ。
あらゆる存在、
あらゆる現象、
あらゆる生と死は、
決して偶然に成り立っているのではない。
それらはすべて、
一定の法則性と構造をもって成り立っている。

諸法実相:命を貫く「十如是(じゅうにょぜ)」の法則
仏は、その構造を言葉にした。
それは、
相・性・体・力・作・因・縁・果・報・本末究竟等――
十の側面をもって、完全に一貫している。
どれ一つ欠けても、
法は成立しない。
目に見える姿も、
内に備わる性質も、
それを成り立たせる原因も、
もたらされる結果も、
最初から最後まで、すべてが貫かれている。
これが、諸法実相である。
仏だけが、
この全体を余すところなく見通している。
だからこそ、
仏は衆生の迷いを知り、
衆生に応じて、言葉を変え、道を変え、教えを変える。
それが方便である。

五濁悪世(ごじょくあくせ)における信の重要性
仏は、ここで偈をもって、
あらためてこの真理を繰り返した。
すべての仏は、
一大事因縁をもって世に出現する。
それは、
衆生に仏の知見を開示し、
悟らせるためである。
仏は決して、
二つの道や三つの道を説いたのではない。
ただ一つの仏道を、
衆生に理解させるために、
三つに分けて語っただけである。
だから、声聞も、縁覚も、
究極においては、
必ず仏となる。
この点について、
仏は一切の疑念を許さなかった。
ただし、この教えは、
誰にでもすぐ理解できるものではない。
五濁悪世――
煩悩が深く、
衆生の智慧が鈍り、
時代そのものが乱れた世においては、
この法は、きわめて信じ難く、理解し難い。
だからこそ、
過去の仏も、
未来の仏も、
同じように方便を用いてきた。

完結:書き換えられた世界の構造
仏は、強く戒める。
この教えを軽んじてはならない。
この教えを疑ってはならない。
もし疑い、退き、
この一仏乗を受け取らなければ、
自ら仏の道を閉ざすことになる。
だが、
もし信じ、受け取り、歩み続けるならば、
必ず仏の境地に至る。
それは例外なく、
一切衆生に開かれている。
仏は、語り終えた。
会座は、沈黙に包まれていた。
だがそれは、
理解できなかった沈黙ではない。
これまで信じてきた世界の構造が、
静かに組み替えられていく沈黙だった。
声聞たちも、
菩薩たちも、
天も、人も、
誰一人として、この言葉を退けなかった。
釈尊は方便品第二において、
三乗は方便であり、
一仏乗こそが真実であることを、
余すところなく示した。
そしてこの教えは、
次なる展開へと、
静かに引き継がれていく。
すべての衆生が仏となるという、
法華経の核心へと――。





■ 主な参照文献
- 『現代語訳 法華経』(2025年11月刊」)
創価学会教学部 編(聖教新聞社)
※本文の構成・現代語訳・語義理解の確認に使用 - 『法華経(上)』
坂本幸男・岩本裕 訳注(岩波文庫、岩波書店)
※サンスクリット原典の構造および仏教用語の学術的確認のため参照 - 『妙法蓮華経 並開結』
(鳩摩羅什 訳)
※漢訳原典に基づく章構成・ストーリーの流れの確認に使用
