法華経「薬草喩品第五」①——一味の慈雨が世界を覆う日

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法華経「薬草喩品第五」は、雨と草木の喩えを通して、一乗の教えを語る章です。ここで釈尊は、三千大千世界を覆う大雲と、一味の雨というイメージを使って、あらゆる教えが究極的には一つの悟りへ収束することを示します。草木がそれぞれの素質に応じて成長するように、衆生もまた業と器量に応じて小乗・大乗などさまざまな教えを受け取りますが、如来が与える恵みそのものは同じなのです。


目次

虚妄なき言葉——迦葉よ、如来は教えの王なり

その時に世尊は、摩詞迦葉及び、諸々の大弟子にお告げになった。

「よく言った、よく言った、迦葉よ、如来の真実の現世や来世に幸福をもたらすもとになる善行をよく説いた。誠に言う通りだ」

釈尊の声には、静寂を貫く確信があった。迦葉が先ほど語った譬えと懺悔は、如来の胸の内をそのまま言葉にしたようなものだった。

「如来には、また計り知れないほど多く広い、現世や来世に幸福をもたらすもとになる善行がある。おまえたちが、もし永遠に長い間において説いたとしても、説き尽くす事は出来ない」

如来の功徳は、言葉という器に入りきらない。どれほど時をかけても、掬い尽くすことはできない。

「迦葉よ、当然知るべきである。如来は、諸々の教えの王であるから、お説きになるものは皆、虚妄ではない。一切の教えにおいて、真実の教えに導くため仮にとる便宜的な智慧の手段、すなわち方便によって、これを説くのだ。その説くところの教えは、一切のものについて完全に知る智慧の位へ導く」

教えの王としての矜持がそこにある。安請け合いもごまかしもない。ただ徹底して、悟りへ連れていくためだけに言葉を用いる漢の姿がある。

如来は、この世に存在する有形や無形の一切のものが、最後に行き着く所を観察して知り、また、一切の生命のあるものすべての心の奥底の働きを知って、すみずみまで通じ妨げるものがない。また、この世に存在する有形や無形の一切のものに於いて、究めつくして明らかに悟っており、諸々の生命のあるものすべてに一切の智慧を示す。

草の根の震えも、人の魂の奥底に沈んだ臆病さも、退転の芽も、如来にはすべて見えている。その上であえて言葉を選び、沈黙すべきところでは沈黙する。それが如来の覚悟だった。

如来の眼光——すべてを見通す教えの王の威厳

三千大千世界を覆う雲——一つの雨、無数の命

「迦葉よ、例えば、一人の仏の教化する三千大千世界の山や、川や、渓谷や、土地に生える草や、木や、叢や、林や、諸々の薬草は、さまざまな種類があり、名前も形も各々異なっている」

釈尊は、宇宙の規模にまで喩えを引き伸ばした。三千大千世界——無数の世界が重なり合うその全域に、山がうねり、川が走り、渓谷が闇を切り裂くように刻まれ、大地には数え切れない草木が根を張っている。

「厚く重なった雲が広がり、普く一人の仏の教化する三千大千世界を覆い、一時に等しく降り注ぐ。その水気は普く草や、木や、叢や、林や、諸々の薬草の小さい根、小さい茎、小さい枝、小さい葉や、中ほどの根、中ほどの茎、中ほどの枝や、大きい根、大きい茎、大きい枝、大きい葉を潤す」

雲は差別しない。かすかな草の芽も、空へ挑むような巨木も、すべて同じ雨を受けとる。

「諸々の樹の大小、上中下に随って各々受ける場所がある。一つの雲から降った雨は、その種となる素質に応じて生長することができて、花をつけ、実をみのらせる。一つの大地から生じ、一つの雨に潤されるのであっても、しかし、諸々の草木は、各々差異や種別があるようなものだ」

ここで静かに因果応報が働く。雨は平等、だが、受ける側の素質——積み重ねた業と器によって、伸び方も、咲かせる花も違ってくる。

「迦葉よ、当然知るべきである。如来もまた、それと同じである」

三千大千世界を覆う大雲——慈悲の雨が降り注ぐ瞬間

「如来が、世に現われる事は、大雲が起きるようなものだ。大音声によって、世界中の天人や、人間や、阿修羅に教えを聞かせる事は、かの大雲が普く三千大千国土を覆うようである」

如来の出現は一つの気象だ。空全体が震え、天人も人間も、争いに明け暮れる阿修羅までも、その声に包まれる。

如来は、大衆の中で、この言葉を唱える。

「私は、如来・応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊といい、仏に対する十種の称号を得た。

未だ悟りの境地に渡っていない者を悟りの境地へ渡らせ、未だ理解しない者を理解させ、未だ安心していない者を安心させ、未だ煩悩の火が消された状態の涅槃を得ていない者には、涅槃を得させる。現世と後の世を、ありのままのごとくにこれを知る。

私は、一切を知る者、一切を見る者、道を知る者、道を開く者、道を説く者である。おまえたち、天人や、人間や、阿修羅達は、きっと皆ここに来るであろう。教えを聴く為に」

その時、無数千万億の様々な生命のあるものすべては、仏の処にやって来て教えを聴いた。

如来は、その時、この生命のあるものすべての諸々に備わる、教えを受けて発動する資質が、鋭いか、鈍いか、雑念を去り仏道修行に専心するか、怠けるかを観察して、そのできる能力に応じて、種々沢山の教えを説き、皆、歓喜し、快く善利を得させた。

ここに方便の極致がある。如来は、魂の芯まで見抜いたうえで、それぞれにふさわしい言葉だけを手渡す。

無数の衆生が集う——如来の大音声に応える命たち

同一の味の教え——生死の絆からの解放へ

この諸々の生命のあるものすべては、この教えを聴き終って、現世では安らかであり、後の世では善い世界に生まれ、道によって楽しみを享受し、また教えを聞く事ができた。すでに教えを聞いて、諸々の妨げとなることを離れ、この世に存在する有形・無形の一切のものの中に於いて、その能力に応じて、物が水に溶けるように道に入ることを得た。

彼の大雲が、一切の草や、木や、叢や、林や、諸々の薬草の上に雨を降らせたときに、その種の素質によって潤いを吸収して、各々生長するようなものである。

如来の説法は、同一の様相であり、同一の味である。その教えは、生死の絆からの解放、愛欲からの離脱、執着する心の絶滅である。最後に到達する所は、一切のものについて、個々の具体的、特殊的な姿を知る智慧に至らしめる。

生命のあるものが存在していて、如来の教えを聞き、それの教えを銘記して忘れず、読み節をつけて唱え、教えられた通りに修行するとしても、それによって得る所の現世や来世に幸福をもたらすもとになる善行を、自ら悟り知ることはできない。

理由は何故かというと、ただ如来だけが、この生命のあるものすべてが、どのような種別のものであり、どのような様相のものであり、どのような体形のものであり、どのような性質のものであるか、また、どのような事を念じ、どのような事を思い、どのような事を修行し、どの様に念じ、どのように思い、どのように修行するのか、また、どのような教えによって念じ、どのような教えによって思い、どのような教えによって修行し、どのような教えによって、どのような教えを得るのであるかという事を知っているからだ。

生命のあるものすべてが、種々の地に住んでいる様を、ただ如来のみが、ありのままにこれを見て、明らかに悟っていて、何ものにもとらわれないのだ。彼の草や、木や、叢や、林や、諸々の薬草は、自分では上中下の性質がある事を知らないようなものだ。

如来は、これを同一の様相、同一の味の教えと知っているのだ。所謂、生死の絆から解放された姿、愛欲から離脱した姿、執着する心を絶滅した姿、最上絶対の悟りの境地である涅槃、常に煩悩の境地を離れ、悟りの境地に入った姿であり、最終的に空に帰着する。

仏は、これを知りつくしているけれども、生命のあるものすべての心に欲している事を観察して、これを導き護っている。この理由のために、最高の完全無欠な智慧を説くという事を、すぐにはしない。

ここに、厳しくも温い方便がある。相手の欲と恐れを見極め、いまこの一歩だけを渡す。すべてを一度に与えないことが、救いとなる場合もあるのだ。

おまえたち、迦葉よ、甚だこれはまれなことである。如来が相手に応じて説かれる教えを知って、よく信じよく受け入れた。理由は何故かというと、諸仏世尊がその場その場で、相手に応じて随時よろしく説かれる教えは、理解し難く知り難いからだ。

一味の雨——それぞれの器で受け取る衆生たち

慈悲の雲が響かせる雷鳴——偈に刻まれた一乗のリズム

その時に、世尊は、重ねてこの意義を述べようとして、仏徳を賛歌して詩を説いて言われた。

生死・輪廻の根源となるものを破壊する教えの王 世間に出現して
生命のあるものすべての欲に従って 種々に教えを説く
如来は尊く 知恵は深遠である
長い間その要点を沈黙して 急いで速やかに説かない

知恵のある者がもし聞いたならば 即ちよく信じて理解し
知恵のない者は疑って 長い間その機会を失うであろう

ここに、心の姿勢そのものが業となる様子が描かれている。同じ教えを聞いても、すぐに信じて踏み出す者と、疑って退く者がいる。その一瞬の選択が、長い未来を左右する。

このために迦葉よ 神通力によって衆生のために説いて
原因を助成して結果を生じさせる種々の条件や事情をもって 正しい見識を得させる

迦葉よ、当然、知るべきである たとえば大雲が
世間に起って あまねく全てを覆い

この慈悲深い雲は潤いを含み 雷光が光り
雷鳴が遠く響いて 人々を喜ばせ
日光を蔽い隠し 地上を清浄にし
雲は垂れ下がり広がり 手が届きそうである

その雨は広く等しく 四方に降りそそぎ
計り知れないほど流れ 全ての地表に満ちる
山川険しい谷 景色が奥深く静かな所の
草木薬草 大小の樹木

百の穀物、苗、 サトウキビ葡萄
雨が潤すところ 豊かであって足らないことはない

乾いた地は広く潤い 薬草と木は共に生い茂り
その雲から出るところの 一つの味の水に
草や、木や、叢や、林 それぞれの度合いによって潤いを受ける

全ての諸々の樹木 それが優れていても、中くらいでも、劣っていても、その割当てを等しく受ける
その大小によって適宜に それぞれ成長することを得る

根、茎、枝、葉 花、果実の色や形
同じ一つの雨が及ぼすところ 全ては新鮮に輝く
その姿形 生まれつきの性質により大小に分かれた様に

潤すところはこれ一つであっても そしてそれぞれが茂るように
仏もまたこれと同じように 世に出現することは
たとえば大雲が 広く全てを覆うようである

既に世に出たならば 諸々の生命のあるものすべてのために
この世に存在する有形・無形の一切のものの現実を もろもろの事理を思量し識別して説明する

雷鳴が空を裂き、人の胸を震わせる。その響きは、如来の大音声そのものだ。一味の雨の下、すべての命がそれぞれの道を歩む。そのすべてを一乗の舟に乗せて運ぶのが、仏の覚悟であり、魂の叫びなのだ。

一味の雨の下で茂る万物——各々の道を歩む衆生たち

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■ 主な参照文献

  • 『現代語訳 法華経』(2025年11月刊」)
    創価学会教学部 編(聖教新聞社)
    ※本文の構成・現代語訳・語義理解の確認に使用
  • 『法華経(上)』
    坂本幸男・岩本裕 訳注(岩波文庫、岩波書店)
    ※サンスクリット原典の構造および仏教用語の学術的確認のため参照
  • 『妙法蓮華経 並開結』
    (鳩摩羅什 訳)
    ※漢訳原典に基づく章構成・ストーリーの流れの確認に使用
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