燃え盛る家から逃げ出した子供たちが手にしたのは、当初約束された粗末な車ではありませんでした。それは、想像を絶する豪華な「大車」でした。仏はなぜ、私たちを一度「嘘」で誘い出し、その後に最高の真実を与えたのか。私たちが住む世界の残酷さと、それを包み込む仏の巨大な愛の輪郭が、ここで明らかになります。
焦燥。無知という名の炎に焼かれる子供たち
邸宅の闇に蠢く毒蛇、トカゲ、マムシ。
餓えと渇きに狂う夜叉やクバンダ、野狐、犬、そして空を舞う猛禽たち。
それら魔物の脅威さえ凄まじいというのに、今やその家は巨大な火に包まれている。
だが、家の中にいる子供たちは無知だった。
父が叫び、逃げろと教えても、彼らは耳を貸さない。目先の遊びに執着し、嬉々として戯れ続けている。
私は思った。
「子供たちは、私の愁いを増させるばかりだ。この家に楽しみなど一つもないというのに、彼らは遊びに溺れ、まさに火に焼かれようとしている」
私は腹を括った。あらゆる方便を駆使し、彼らを救い出す。
私は叫んだ。
「私には、珍しい玩具がある。宝石で飾られた立派な車だ。羊の車、鹿の車、そして大きな牛の車だ。門の外に用意してある。おまえたちのために作ったのだ。さあ、出てきて好きなように遊びなさい!」
その言葉を聞いた瞬間、子供たちは我先にと走り出した。
互いに先を争い、彼らは燃え盛る家を脱した。
空き地に至り、すべての苦難を振り切ったのだ。

歓喜。父が与えた「約束以上」の宝物
子供たちが四辻に座り、無事であるのを見て、私は獅子の座に腰を下ろした。
ようやく、私の心に安らぎが訪れた。
「この子供たちを救うのは、至難の業だった。愚かで、幼く、無知。毒虫や化け物が蠢く危険な家の中で、彼らは火に囲まれながら笑っていた。だが、私は彼らを救い出した。今、私は安らかだ」
子供たちは私の元へ駆け寄ってきた。
「お父さん、さっき約束した三種類の宝の車をください。私たちが望むようにさせてくれると言った、あの車を!」
私は蔵を開いた。私の蔵は富に満ちている。
金、銀、瑠璃、シャコ貝、メノウ。
私はそれら無数の宝石を使い、巨大な車を造らせた。
欄干を巡らせ、四面に金の鈴をかけ、真珠の網を張り、金の花房を垂らした。色彩豊かな織物を飾り、千億もの価値がある真っ白なフェルトを敷き詰めた。
それを牽くのは、肥えて力の強い、美しい白牛だ。
大勢の従者を従わせ、私はこの見事な車を、差別することなく、平等に子供たちへ与えた。
子供たちは歓喜し、躍り上がった。
彼らはその宝車に乗り、四方へ駆け出した。
それは、自由自在。これまで経験したことのない、本当の遊びだった。

宿命。この世のすべては私の領域である
舎利弗(しゃりほつ)よ、よく聞け。私もまた、この長者と同じなのだ。
私は聖者の一人であり、この世の父だ。
一切の衆生は、すべて我が子である。
だが、彼らは世の楽しみに深く執着し、道理を見極める心を失っている。
三界(欲界・色界・無色界)に安らぎはない。そこは燃え盛る家だ。
生・老・病・死の苦悩という火が、今も激しく燃え広がっている。
私はすでにその火宅を離れ、静寂の林に住んでいる。
だが、この三つの世界はすべて、私の領域なのだ。
そこに住む衆生は、ことごとく我が子だ。
そして、今この場所にある無数の苦しみから、彼らを救えるのは私一人だけなのだ。
彼らは私の教えを信じようとはしない。欲に染まり、執着が深いからだ。
だからこそ、私は方便を用いた。
彼らにこの世の苦しみを知らしめ、そこから脱出する道を説くために、三つの教法(三乗)を演説したのだ。
もし、彼らの心が定まりさえすれば、彼らは神通力を備え、独りで悟る者となり、あるいは不退転の菩薩となるだろう。
舎利弗よ、私はこの喩えによって、「仏の教えは唯一である」という真実を説いた。
この言葉を信じ、受け入れるなら、誰もが仏道を成就するだろう。
この教義は複雑で清浄、この世で最も尊いものだ。
全ての衆生が、これを賞賛し、礼拝すべき場所なのだ。

真実。信じることによって開かれる門
私はかつて、おまえたちは悟りに至ったと説いた。
だが、それはただ「迷い」から抜け出したに過ぎない。実際には、まだ滅してはいないのだ。
今、おまえたちがなすべきことは、仏の認識力(仏知見)を得ることだ。
諸仏の教えは、たとえ方便を用いたとしても、その本質はすべて、衆生を菩薩(悟りを求める者)へと変えるためにある。
もし知恵が浅く、愛欲に溺れる者がいれば、私は「苦」を説く。
その時、人々は「こんな教えは初めてだ、これは真実だ」と喜ぶだろう。
だが、苦しみの根本は「貪り」にある。その執着を断ち切ること、それが解脱への道だ。
しかし、それはまだ「本当の解脱」ではない。
彼らはまだ最高の道(仏道)を得ていない。だから私は、彼らが完全に悟ったとは認めないのだ。
私は教えの王だ。この世を安らかにするために現れた。
舎利弗よ、この「諸法実相」という根本の義は、世を利益するために説くものだ。
むやみに宣伝してはならない。
だが、もしこれを聞いて歓喜し、受け入れる者がいたなら、その者は「不退転」の確信を得た者だと知れ。
この経を信じる者は、過去にすでに仏に見え、供養を済ませてきた者たちなのだ。
この法華経は、深い智慧を持つ者のためにある。
知識が浅く、自己の悟りだけに固執する者には、理解することは難しいだろう。
舎利弗よ、おまえでさえ、この経には「信じること」によって入ることができたのだ。
他の者たちが、自分の浅い知恵や推論で理解できないのは当然のこと。
彼らもまた、仏の言葉を「信じる」ことによってのみ、この真実の流れに乗ることができるのだ。

■ 主な参照文献
- 『現代語訳 法華経』(2025年11月刊」)
創価学会教学部 編(聖教新聞社)
※本文の構成・現代語訳・語義理解の確認に使用 - 『法華経(上)』
坂本幸男・岩本裕 訳注(岩波文庫、岩波書店)
※サンスクリット原典の構造および仏教用語の学術的確認のため参照 - 『妙法蓮華経 並開結』
(鳩摩羅什 訳)
※漢訳原典に基づく章構成・ストーリーの流れの確認に使用
