あなた自身が、宇宙で一番キラキラした「宝塔」である。

■御書新版 1732ページ10行目~12行目 

■御書全集 1304ページ6行目~8行目


目次

はじめに――3月、新しい自分に出会う季節

3月。

卒業式、年度末、人事異動、引っ越し。「終わり」と「始まり」が同時にやってくる、なかなか忙しい月です。

店頭には桜味のスイーツが並び、朝の通勤電車でふと窓の外を見ると、つぼみが少しだけふくらんでいるのに気づく。まだコートは脱げないけれど、マフラーは外してもいいかもしれない。そんな微妙な境界線の季節。

そしてもう一つ、3月が独特なのは、「自分」について考える時間が増えることではないでしょうか。

来年度の目標は何にしよう。今の自分に足りないものは何だろう。もっと成長しなきゃ。いや、そもそも自分って何がしたいんだっけ――。

期待と不安がないまぜになった、そんな季節にぴったりの御書を、今月は学びます。

その名も阿仏房御書(宝塔御書)

テーマは、ずばり――「あなた自身が宝塔である」

「宝塔って何?」「自分が塔?」と思った方、大丈夫です。750年前に同じ疑問を持った人がいて、その質問に日蓮大聖人が丁寧に答えてくださった、それがこのお手紙なのです。


そもそも「阿仏房御書」って、どんなお手紙?

佐渡の”最強サポーター”への返書

この御書は、建治2年(1276年)3月13日、日蓮大聖人が身延で著され、佐渡に住む門下・阿仏房(あぶつぼう)に送られたお手紙です。

阿仏房――名前だけ聞くとちょっと謎めいていますが、この方のバックグラウンドがまた面白い。

もともと、阿仏房は熱心な念仏信者でした。

つまり、大聖人とは信仰の”対立陣営”にいた人物です。しかも、一説では元・北面の武士(朝廷の警護役)とも言われる、武骨な男。そんな人が、佐渡流罪中の大聖人と出会い、その教えと人格に触れて、妻の千日尼と共に帰依します。

現代風に言えば、「ライバル企業のエースが、うちの社長の人柄に惚れ込んで転職してきた」くらいのインパクトです。


しかも、阿仏房の信心はハンパじゃない。

大聖人が佐渡にいる間、人目を忍んで食料を運び、生活を支え続けました。やがて大聖人が身延に入った後も、佐渡から身延まで――距離にしておよそ350キロ――を、高齢にもかかわらず何度も訪ねています。

新幹線も高速道路もない時代に、です。Googleマップで「佐渡→身延」と検索したら、きっと「この経路には海上区間が含まれます」と表示されるでしょう。船で海を渡り、山道を歩き、何日もかけて師匠のもとへ。その求道心に頭が下がります。

「宝塔って何ですか?」――阿仏房の素朴な質問

本抄は、阿仏房が大聖人に真心の御供養(銭一貫文、白米など)を届けるとともに、ある質問をしたことに対する御返事です。

その質問が、これ。

「法華経に説かれる多宝如来や宝塔の涌現とは、一体、何を表しているのですか?」

法華経を学んでいれば当然湧く疑問です。法華経見宝塔品第11では、釈尊が説法をしている最中に、突然、大地から巨大な宝塔(宝物で飾られた塔)が出現して、空中に浮かぶという、かなりスペクタクルな場面が描かれます。

しかもこの塔、金、銀、瑠璃(るり)など七つの宝で飾られていて、高さは500由旬(およそ地球の直径の3分の1)、縦横は250由旬。もはや建造物というより惑星サイズです。


この塔の中には、多宝如来(たほうにょらい)という仏が座っていて、「すばらしい、すばらしい! 釈尊の説かれたことは全て真実です!」と大音声で宣言します。言わば、「法華経は本物だ」と太鼓判を押す存在です。

阿仏房は率直に聞いたわけです。「この壮大な宝塔って、一体何のことなんですか?」と。

そして、大聖人の答えが――今月の拝読御文につながります。


拝読御文

末法に入って法華経を持つ男女のすがたより外には宝塔なきなり。もししからば、貴賤上下をえらばず、南無妙法蓮華経ととなうるものは、我が身宝塔にして我が身また多宝如来なり。妙法蓮華経より外に宝塔なきなり。法華経の題目、宝塔なり。宝塔また南無妙法蓮華経なり。

(御書新版1732ページ10行目~12行目・御書全集1304ページ6行目~8行目)

【現代語訳】

末法に入って、法華経を持つ男女の姿よりほかには宝塔はない。もしそうであるならば、貴賤上下にかかわらず、南無妙法蓮華経と唱える人は、わが身がそのまま宝塔であり、わが身がまた多宝如来なのである。

妙法蓮華経よりほかに宝塔はないのである。法華経の題目は宝塔である。宝塔はまた南無妙法蓮華経である。

【英文】

In the Latter Day of the Law, no treasure tower exists other than the figures of the men and women who embrace the Lotus Sutra. It follows, therefore, that whether eminent or humble, high or low, those who chant Nam-myoho-renge-kyo are themselves the treasure tower, and, likewise, are themselves the Thus Come One Many Treasures. No treasure tower exists other than Myoho-renge-kyo. The daimoku of the Lotus Sutra is the treasure tower, and the treasure tower is Nam-myoho-renge-kyo.

The Writings of Nichiren Daishonin, vol.1, p.299


御文の解説――「あなた自身が宝塔」とはどういうことか

①宝塔は、どこか遠い場所にあるのではない

この御文で最初に驚くのは、大聖人の答えのストレートさです。

阿仏房は「あの巨大な宝塔は何を表しているのですか?」と聞きました。普通なら、何か神秘的で深遠な説明が来ると思いますよね。「あれは宇宙の真理を象徴しており……」とか。

ところが大聖人の答えは、こう。

「法華経を持つ男女の姿よりほかに宝塔はない」

……え、私たち?

そう。あの金や銀、瑠璃で飾られた惑星サイズの巨大タワーの正体は、どこか遠い空の上にあるものでもなければ、特別な聖者だけのものでもなく、法華経を信じ持つ「生きた人間」そのものなのだと。

これはなかなか衝撃的な回答です。

②「貴賤上下をえらばず」――全員が等しく尊い

次に続くのが、「貴賤上下をえらばず」という言葉。

身分の高い低い、地位がある・ない、お金持ちかどうか――一切関係ない。南無妙法蓮華経と唱える人は、その人自身が宝塔であり、多宝如来である。

鎌倉時代は身分による差別が厳格だった時代です。武士、農民、僧侶、それぞれの立場は固定化され、「人は生まれで決まる」という空気が社会を覆っていました。

その時代に、「誰であろうと関係ない。題目を唱えるあなた自身が、宇宙で最も尊い存在だ」と言い切る。これは、750年前に書かれた人間尊厳の“独立宣言”と言っても過言ではありません。


③「法華経の題目、宝塔なり。宝塔また南無妙法蓮華経なり」

御文の後半では、宝塔と南無妙法蓮華経の関係が示されます。

大聖人は、「法華経の題目は宝塔であり、宝塔はまた南無妙法蓮華経である」と明かされます。

つまり――

  • 宝塔 = 南無妙法蓮華経
  • 南無妙法蓮華経と唱える人 = 宝塔
  • よって、題目を唱えるあなた = 宝塔 = 宇宙の根源の法そのもの

この三段の等式が成り立つのです。

少し大胆に言い換えると、「あなたの中に、宇宙最高のお宝が眠っている。それを目覚めさせるスイッチが、南無妙法蓮華経の題目だ」ということ。

しかも、このお宝は特別な修行を何年も積んだ人だけのものではなく、今この瞬間、題目を唱えるすべての人に、例外なく具わっているのです。


「己心の宝塔」を見るということ

拝読御文の少し前で、大聖人は門下にとって大事なのは「己心の宝塔」を見ることだと示されています。

「己心(こしん)の宝塔」とは、自分自身の生命の中にある宝塔のこと。つまり、自分の中に仏の生命が具わっていることに目覚めることです。

これ、日常生活でいうと、どういう感覚でしょうか。

たとえば、自分に自信がなくて、「どうせ自分なんて……」と思っている時、私たちの中の宝塔は霧に包まれて見えなくなっています。

でも、朝、御本尊の前に座って題目を唱え始めると、不思議と心が落ち着いてくる。「よし、今日もやれることをやろう」と前を向ける。その瞬間、霧が晴れて、自分の中の宝塔がピカッと光り始める

池田先生はこう述べられています。

「宝塔は、南無妙法蓮華経です。この題目を真剣に唱える人は、自身の宝塔の生命を最大に輝かせていくことができるのです。自分が置かれている境遇を嘆いたり、周りと比べて自分を卑下したりする必要など一切ありません」

「周りと比べて自分を卑下する必要など一切ない」。

この言葉が、SNSの”いいね”の数や、他人のキラキラ投稿に振り回されがちな現代の私たちの胸に、どれだけ深く響くでしょうか。


自分が輝けば、周りも輝く――「宝塔の林立」

この御文のもう一つの深い意義は、「自分の宝塔が輝くと、他者の宝塔も輝かせられる」という点です。

自分の中に宝塔を見いだした人は、周りの人の中にも宝塔を見ることができる。つまり、自分を尊く思える人は、他者のことも尊く思える。

逆に、自分を大切にできない人は、なかなか他者を大切にできません。

「まず自分が輝く。するとその光が、周りの人の宝塔にも火をともす」

これが「宝塔の林立」であり、仏法が目指す社会の姿です。一本の宝塔が立つと、隣にもう一本、またもう一本と、次々に宝塔が立ち始める。街中がキラキラの宝塔で埋め尽くされるイメージ。なんだか素敵じゃないですか。


阿仏房という人の”宝塔っぷり”

ここでもう一度、阿仏房という人物に目を向けてみましょう。

念仏信者から法華経に転じ、佐渡流罪中の大聖人を妻と共に命がけで支え、赦免後も高齢の身で佐渡から身延まで何度も訪ねた阿仏房。

大聖人は手紙の最後で、阿仏房のことを「北国の導師」と呼んでいます。「佐渡で広布を担う、尊い指導者だ」という最大級の称賛です。

考えてみれば、阿仏房こそ、この御文が説く「宝塔」の体現者でした。

身分が高いわけでも、学問に秀でていたわけでもない。佐渡という厳しい環境にいる一介の信者。しかし、その不屈の信心、師匠を求める求道の行動、そして佐渡の地で広宣流布に生きる姿――それ自体が、七宝に飾られた輝く宝塔そのものだったのです。

特別な人間になる必要はない。今いる場所で、今できることに全力で取り組む「ありのままの姿」が、最も尊い宝塔となる。

大聖人がこの御文で伝えたかった核心は、ここにあるのではないでしょうか。


「最も苦しんだ人が、最も幸せになる」

池田先生は、さらにこう述べられています。

「むしろ、困難な状況にあれば、より一層、真剣に題目を唱えることができます。そして、唱題に徹する人は、一番、幸せになれるのです。しかも、その姿は、多くの人に希望と勇気を送っていく――最も苦しんでいた人が、最も幸福になるだけでなく、他の人をも幸せにしていく勇者になるのです」

「最も苦しんでいた人が、最も幸福になる」

これは仏法の「宿命転換」の法理そのものです。

苦しみが大きいほど、それを乗り越えた時の輝きは大きくなる。悩みが深いほど、その分だけ、自分の宝塔は高くそびえ立つ。

そして、その輝きは自分一人のためだけではなく、同じように苦しんでいる誰かにとっての灯台になる。

「あの人があんなに苦しい中から立ち上がれたなら、自分も大丈夫かもしれない」。

そう思わせてくれる存在こそ、この御文でいう「宝塔」であり「多宝如来」なのです。


おわりに

3月。新しいステージへ向かう季節。

もし今、不安や焦りを感じているなら。自分に自信が持てないと思うなら。

思い出してほしいのです。750年前、大聖人が阿仏房に伝えた、この一言を。

「南無妙法蓮華経ととなうるものは、我が身宝塔にして我が身また多宝如来なり」

あなたの中にすでに、金も銀も瑠璃もかなわないほどの宝が具わっている。それは他の誰でもない、あなた自身の生命そのものです。

特別な誰かにならなくていい。ありのままの姿で、今いる場所で、題目を唱え、自分の可能性を信じて一歩を踏み出す。その瞬間、あなたの中の宝塔がまばゆく光り始めます。

そしてその光は、きっと隣にいる誰かの宝塔にも火をともしていく。

最も苦しんだ人が、最も幸せに。さあ、宿命転換の哲理を胸に、前進していきましょう。


御書のページ数は、創価学会発行の『日蓮大聖人御書全集 新版』(御書新版)、『日蓮大聖人御書全集』(御書全集)のものです。

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