「方便品(ほうべんぽん)第二」は、法華経の中でも最も重要な章の一つです。ここでは、釈尊がいかにして衆生を救うために「方便」という手段を用いたか、そして万人が成仏できるという「諸法実相」の真理が明かされます。初心者の方にも分かりやすく、現代語訳とともに解説していきます(全5回)。

妙法蓮華経 方便品第二 ①「仏、語ることを拒む」
霊鷲山は、まだ動かなかった。
光が消え、花が地に伏し、世界が息を潜めたまま、次を待っていた。
釈迦牟尼仏は、ようやく静かに目を開いた。
無量義処三昧から出た、その瞬間だった。
沈黙が破れたのは、声ではない。
空気が、わずかに変わった。
仏は語り始めた。
それは、誰かを励ます言葉でも、教えを並べる説法でもなかった。
宣告に近い響きだった。
測り知れない「仏の智慧」の深淵
仏の智慧は、深く、広く、測り知れない。
それは、声聞や縁覚が思い描く理解の枠を、はるかに超えている。
どれほど考えを巡らせても、どれほど言葉を尽くしても、
この智慧の全体を捉えることはできない。
なぜなら、仏は、ただ一つの目的のために現れたからだ。
それは、衆生をして仏の智慧を開かせ、
それを示し、
それに悟らせ、
それに入らせること。
仏は、この一点のためにのみ、この世に出現した。

すべては「一仏乗」へ導くための方便
会座は、静まり返っていた。
理解が及ばないことは、誰の耳にも明らかだった。
仏は続けた。
過去の仏も、未来の仏も、現在の仏も、
皆、同じ道を歩んできた。
すべての仏は、衆生の機根に応じて、
さまざまな教えを説いてきた。
だが、それは本意ではない。
それらはすべて、方便である。
仏が本当に説こうとしているのは、
ただ一つの乗り物――
仏の智慧へ至る、唯一の道である。
三つあるように見える道は、実際には一つしかない。
声聞の道も、縁覚の道も、
すべては仏の道へ導くために仮に設けられたものだ。
ここで、空気が揺れた。
舎利弗だった。
智慧第一と呼ばれるこの弟子は、
胸の奥に押し込めていた疑問を、もはや抑えられなかった。
なぜ、これほどまでに高く、深い教えを説くのか。
なぜ、過去に説かれてきた教えを、方便だと言い切るのか。
もしすべてが一仏乗なら、
これまで積み重ねてきた修行は、何だったのか。
舎利弗は立ち上がり、合掌し、問いを発した。

三度の請願と、明かされる真実
仏は、すぐには答えなかった。
そして、はっきりと告げた。
この法は、理解しがたい。
軽々しく説いてはならない。
もし今、これを説けば、
世間は疑い、恐れ、誹謗するだろう。
仏は、説くことを退けた。
しかし、舎利弗は退かなかった。

三度、請い願った。
自分のためではない。
未来の衆生のために、この法を明らかにしてほしいと。
仏は、ついに語ることを選んだ。
そして、明言した。
諸仏は、衆生の迷いに応じて、
さまざまな教えを説いてきた。
だが、それらはすべて、
衆生を仏の智慧へ導くための仮の道だった。
真実は、ただ一つ。
仏になる道は、一つしかない。
仏は、過去の仏たちが、
同じように方便を用い、
同じように最後には一仏乗を明らかにしてきたことを語った。
仏は、欺かない。
偽らない。
衆生を捨てない。
だからこそ、段階を踏む。
だからこそ、教えを分ける。
それは、慈悲であり、戦略だった。

覚悟を問う沈黙:去る者と残る者
この教えを聞いたとき、
会座の中には、動揺する者もいた。
自分たちは、すでに悟りに達したと思っていた。
だが、その悟りが、方便の中にあったと知った瞬間、
足元が揺れた。
一部の比丘たちは、席を立ち、その場を去った。
仏は、それを止めなかった。
理解する準備のない者には、
この法は重すぎる。
だが、残った者たちは、
身を切るような緊張の中で、
仏の言葉を受け止め続けた。
仏は、最後にこう告げた。
この法は、
過去にも、現在にも、未来にも、
ただ仏だけが説くことのできる教えである。
そして、この法を信じ、受け取り、保つ者は、
必ず仏の智慧に至る。
霊鷲山は、再び沈黙に包まれた。
それは、序章が終わったという沈黙ではない。
世界の前提が、書き換えられたあとの沈黙だった。
ここから先、
誰も同じ場所には戻れない。
法は、すでに動き始めていた。



■ 主な参照文献
- 『現代語訳 法華経』(2025年11月刊」)
創価学会教学部 編(聖教新聞社)
※本文の構成・現代語訳・語義理解の確認に使用 - 『法華経(上)』
坂本幸男・岩本裕 訳注(岩波文庫、岩波書店)
※サンスクリット原典の構造および仏教用語の学術的確認のため参照 - 『妙法蓮華経 並開結』
(鳩摩羅什 訳)
※漢訳原典に基づく章構成・ストーリーの流れの確認に使用
