【現代語訳で読む】妙法蓮華経(法華経)勧持品第十三:迫害に耐え法華経を広める誓い(二十行の偈)

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はじめに
法華経の第十三章にあたる「勧持品(かんじほん)第十三」は、お釈迦様が世を去った後の困難な時代(悪世)において、法華経を広め守り抜くことを菩薩たちが固く誓う章です。
彼らは迫害や非難(三類の強敵)に遭っても決して屈しないという強い決意を、有名な「二十行の偈(にじゅうぎょうのげ)」と呼ばれる詩の形で仏に誓います。また、お釈迦様の育ての母である摩訶波闍波提(まかはじゃばだい)や、出家前の妻であった耶輸陀羅(やしゅだら)たち女性たちへの成仏の予言(授記)もなされる重要な章です。その全文を、読みやすい現代語訳でお届けします。

目次

菩薩たちと弟子たちの誓い

その時に、薬王菩薩摩訶薩と大楽説菩薩摩訶薩は、二万人の悟りを求める修行者と従者達と共に、仏の前でこれを誓いました。

「ただ願わくは世尊、あれこれと思いめぐらされないように。我らは仏が世を去られた後に、当然この経典の教えを銘記して忘れず、読み節をつけて唱え、説き奉るべきです。後の悪世の生命のあるものすべてはよい報いを招くもとになる行為がますます少なく、悟りの域に達していないのに既に悟っているという自惚れの心の者が多く、利益や供物を貪り悪い報いを招くもとになる行為を増し、悩みや迷いなど煩悩の束縛から解き放たれて自由の境地に到達することから遠く離れているであろう。
教え導く事が難しいといえども、我らは当然大いなる忍耐力を起こすべきである。この経を読み節をつけて唱え、教えを銘記して忘れず、説き、書写して、種々に供養し身命を惜しまないであろう」

その時に、集団の中にいた五百人の阿羅漢で未来世の成仏の証言を受けた者が仏に言いました。
「世尊、我らもまた自ら誓いを立て成就するように願います。他の国土において、広くこの経を説きましょう」

また、仏教の真理を知ってはいてもまだ迷いを完全に断ち切っておらず学ぶ余地のある者、或いは煩悩を断ち尽くしもはや学ぶべきもののない境地のもの八千人の弟子で未来世の成仏の証言を受けた者が、座から立って合掌し仏に向かってこの言葉を誓いました。

「世尊、我らもまた当然、他の国土において広くこの経を説くべきである。理由は何故か、この娑婆世界の中は人々の不道徳が多く、未熟であるのに仏法の悟りを身につけたと誇り、来世に幸福をもたらすもとになる善行が浅く、自分の心に逆らうものを怒り恨み、自分の気持ちをまげて人にこびへつらい心が誠実でないからである」

女性たち(摩訶波闍波提と耶輸陀羅)への授記

その時、仏の叔母である摩訶波闍波提(まかはじゃばだい)比丘尼と、仏教の真理を知ってはいてもまだ迷いを完全に断ち切っておらず学ぶ余地のある者、或いは煩悩を断ち尽くしもはや学ぶべきもののない境地の六千人の出家女子とは、共に座を立って一心に合掌し、世尊の顔をまばたきもせずに仰ぎ見ていました。

その時、世尊は僑曇弥(きょうどんみ=摩訶波闍波提)比丘尼にお告げになりました。
「何の理由で憂いの色を湛えて如来を見ているのか。おまえの心の中で、わたしがおまえの名をあげて『一切の真理をあまねく知った最上の智慧を得るであろう』という未来世の成仏の証言をしなかったと思っているのではないか。
僑曇弥よ、私は先に、総じて一切の弟子に既に皆の未来世の成仏の証言を授けたと説いた。今、おまえが未来世の成仏の証言を知りたいと思うのなら、将来の世に六万八千億の諸仏の教えの中に於いて大法師となるに違いない。また仏教の真理を知ってはいてもまだ迷いを完全に断ち切っておらず学ぶ余地のある者と、或いは煩悩を断ち尽くしもはや学ぶべきもののない境地の六千人の出家した女も共に法師となるであろう。
おまえはこの様に徐々に悟りを求める修行者の道を備えて、仏になることを得るであろう。その名を一切衆生喜見如来・応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊と言い、仏に対する十種の称号を得るであろう。僑曇弥よ、この一切衆生喜見仏と六千人の悟りを求める修行者は、次々に未来世の成仏の証言を与えて、一切の真理をあまねく知った最上の智慧を得させるであろう」

その時に、羅睺羅(釈迦の実子)の母である耶輸陀羅(やしゅだら)比丘尼(釈迦の出家前の妻)はこう思いました。
「世尊は、未来世の成仏の証言のなかにおいて独り私の名だけを説かれなかった」

仏は、耶輸陀羅にお告げになりました。
「おまえは、未来世の百千万億の諸仏の教えの中において、悟りを求める修行者の修行を修めて大法師となり、少しずつ仏道を備えて善き国において最高の悟りを開くことが出来るであろう。その名を具足千万光相如来・応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊と言い、仏に対する十種の称号を得るであろう。仏の寿命は無量無数劫であろう」

その時、摩訶波闍波堤比丘尼と、耶輸陀羅比丘尼と、その仲間の者達は大いに歓喜し、今まで一度もなかった思いを懐いて、そして仏の前においてこの詩を説きました。

「世の中で最も尊い我々を導く師よ、天人や人間を安穏ならしめる。我らは未来世の成仏の証言を聞き、心が安らかになりました」

諸々の出家女子は、この詩を説き終って仏に向かって言いました。
「世尊、我らもまた他国において広くこの経を説きましょう」

菩薩たちの強い決意(二十行の偈)

その時に世尊は、八十万億那由他の諸々の悟りを求める修行者と大乘を求める修行者を視られました。この諸々の悟りを求める修行者は不退転の位に達し、仏道修行の過程ですでに得た境地から後戻りしないことの教えの輪を転じ、諸々の教えの真理を記憶させる力や行者を守る力や神通力を与える力である陀羅尼を得ていました。
そして座から立ち上って仏の前に進み、一心に合掌してこう思いました。
「もしも世尊が我らにこの経の教えを銘記して忘れず説けと告げられ命令されたなら、当然仏の教えのように広くこの教えを世の中にはっきりと示すべきである」
また、こう思いました。
「仏は今、口をつぐんでいらっしゃって命令しようとはなさらない。私は当然何をすべきなのか」

そのときに諸々の悟りを求める修行者は、仏の意思に謹んで従う態度を取り、共に自ら衆生を救済するために起こした誓願を満たそうとして、仏の前で獅子がほえて百獣を恐れさせるように意気盛んに誓いの言葉を語りました。

「世尊、我らは如来が世を去られた後に十方の世界を巡りあるき、行って帰り、生命のあるものすべてにこの経を書写させ、教えを銘記して忘れず、読誦させ、その意義を解説し、教えのように修行させ、深く思い絶えず忘れないようにさせましょう。皆これは仏の威力によるものです。願わくは世尊、遠くにあっても遥かにお守りください」

即時に諸々の悟りを求める修行者は、共に同じように声を出して詩(二十行の偈)を説きました。

「ただ願わくはあれこれと思いめぐらされないように。仏がこの世を去られた後、仏の教えの衰えた恐ろしい時代の中において我らは当然広く説くべきである。
諸々の無智の人が悪口し口汚くの罵り、また刀杖を振るったりする者があるだろう。我らは皆、当然忍ぶべきである。

仏の教えの衰えた時代の中で出家得度して具足戒を受けた男子は、悪事に働く知恵があり心は自分の気持ちをまげて人にこびへつらい、未だ会得してもいないものを得たと主張し、我に執着し我をよりどころとする心から自分を偉いと思っておごり他を侮るであろう。
或いは静かな修行に適する所にいて人が捨てたぼろを縫って作った袈裟を着て人の中から離れた所に住み、自分から真の道を修行していると主張して人間を見くだし馬鹿にする者があるだろう。利をむさぼり私腹を肥やすことに執着する故に一般の人のために教えを説き、世間の人に恭しく敬われる様子は六種の神通力を備えた阿羅漢のようになるであろう。
この人は恨みを抱き悪事をしようとするよこしまな心を懐き常に俗世間の事を思い、実体のないものに阿練若(静かな、修行に適する所)と仮に名づけ、我等の過失を指摘することを好む。

この様なことを言うであろう。『この諸々の出家得度した男子らは利をむさぼり私腹を肥やすことを貪る為に道理に背く教義の解説や注釈をした書を説き、自らこの経典を作って世間の人ををだまし惑わし、名声が世間に広まることを求めるから、もろもろの事理を思量してこの経を説くのだ』と。
常に大衆の中に在って私たちを中傷しようと思うために、国王・大臣・婆羅門・在家男子、及びその他の出家得度した男子達に向かって誹謗して我らの悪口を言い、『これはよこしまな見方や考え方の人である、道理に背く教義の解説や注釈をした書を説く』と言うであろう。

我等は仏を尊んで礼を尽くすためにことごとくこの諸々の悪を忍ぶであろう。このために軽蔑されて『あなた方は皆仏である』と言われるだろう。このようなおごり高ぶって人をあなどる言葉を皆当然忍んでこれを受けるべきである。
きわめて長い時間濁った仏法の衰えた時代の中には多くの諸々の恐怖があるであろう。悪鬼がその身に入り込み、わたしを口汚くののしり罵り侮辱するであろう。我らは仏を尊敬し信頼して、侮辱や苦しみに耐え忍び心を動かさない鎧を着けるであろう。この経を説こうとする為にこの諸々の困難な事柄を忍ぶであろう。

我らは身体と生命を貪愛することなく、ただこの上なく優れた道を思いやる。我らは未来世において仏に頼まれ委ねられた事を大切に守り保つであろう。世尊は自ら当然知っているに違いない。濁った世の中の出家得度して具足戒を受けた男子は、仏が人を真実の教えに導くため仮にとる便宜的な手段やその場その場で随時に説法・教化することを知らない。
悪口を言って不快に感じて顔をしかめ、繰り返し私たちをのけものにし、塔や寺から遠く離れているであろう。この様な諸々の悪い集団をも仏の命令を記憶する故に皆当然この事を忍ぶべきである。

諸々の村落や城壁にかこまれた町にその教えを求める者がいるならば、我らは皆その所に赴いて仏に委ねられた教えを説く。我らは世尊の使いであるから大勢の人々の中にいて畏れるところがない。わたしは当然よく教えを説くべきである。願わくは仏、安穏に過ごしたまえ。
我らは世尊の前に来られた諸々の十方の仏においてこのように言葉に出して誓う。仏は自ら私の心を知るであろう」

■ 主な参照文献

  • 『現代語訳 法華経』(2025年11月刊」)
    創価学会教学部 編(聖教新聞社)
    ※本文の構成・現代語訳・語義理解の確認に使用
  • 『法華経(上)』
    坂本幸男・岩本裕 訳注(岩波文庫、岩波書店)
    ※サンスクリット原典の構造および仏教用語の学術的確認のため参照
  • 『妙法蓮華経 並開結』
    (鳩摩羅什 訳)
    ※漢訳原典に基づく章構成・ストーリーの流れの確認に使用
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