【現代語訳で読む】妙法蓮華経(法華経)法師功徳品第十九:六根清浄の功徳

当ページのリンクには広告が含まれています。

はじめに
法華経の第十九章にあたる「法師功徳品(ほっしくどくほん)第十九」は、法華経を信じ、読み、広める法師がどれほど素晴らしい功徳を得るのかが説かれる章です。
具体的には、人間の持つ六つの感覚器官である「眼・耳・鼻・舌・身・意(心)」がすべて清らかになり(六根清浄:ろっこんしょうじょう)、凡夫の肉体のままでありながら仏のような見識や能力を備えることができると説かれます。修行者への大きな励ましとなるこの章の全文を、現代語訳でお届けします。

目次

功徳の全体像と「眼(め)」の功徳

その時に仏は、常精進(じょうしょうじん)菩薩にお告げになりました。

「もしも仏法に帰依した男女が、この法華経の教えを銘記して忘れず、若しくは読み、若しくは節をつけて唱え、若しくは解説し、若しくは書写したならば、この人は八百の眼の功徳、千二百の耳の功徳、八百の鼻の功徳、千二百の舌の功徳、八百の身の功徳、千二百の意の現世や来世に幸福をもたらすもとになるよい報い(功徳)を得るに違いない。
この現世や来世に幸福をもたらすもとになるよい報いによって、感覚や意識を生じ、またそれによって迷いを起こさせる原因となる六つの器官(六根)を美しく飾って、みな清浄にさせるのだ。

この仏法に帰依した男女は、父母が生み出した清らかな肉眼によって、三千大千世界の内外のあらゆる山・林・河・海を見ることは、下は阿鼻地獄に至り上は有項天に至るであろう。またその中の一切の生命のあるものすべてを見、前世の善悪の行為によって現世で受ける報いの因縁と、前世での行いの結果として現世で受ける報いとして生まれる場所を全て見て、全て知るだろう」

その時に世尊は重ねてこの意義を述べようとして、仏徳を賛歌して詩を説いて言われました。

「もしも大衆の中に於いて、仏が法を説くときのような何ものをも畏れない心をもってこの法華経を説くならば、おまえはその現世や来世に幸福をもたらすもとになるよい報いがあることを聴け。この人は八百の、現世や来世に幸福をもたらすもとになるよい報いがある優れた眼を得るだろう。この現世や来世に幸福をもたらすもとになるよい報いに荘厳されるために、その眼は甚だ清らかであろう。
父母が生み出した眼によって、全て三千世界の内外の弥楼山、須弥山から鉄囲山、並びにその他の山林、大海や江河を見ること、下は阿鼻地獄に至り上は有項天に至るだろう。その中の生命のあるものすべての、一切を皆すべて見るだろう。未だすべてを見通すことのできる眼(天眼)を得ていないとしても、肉眼の力はこのようになるだろう」

「耳(みみ)」の功徳

「また次に常精進よ。もしも仏法に帰依した男女がこの経の教えを銘記して忘れず、若しくは読み、若しくは節をつけて唱え、若しくは解説し、若しくは書写するならば、千二百の耳の現世や来世に幸福をもたらすもとになるよい報いを得るだろう。

この清らかな耳によって、三千大千世界の下は阿鼻地獄から上は有頂天に至るその中の内外の種々ある音声や、象の声・馬の声・牛の声・車の声・鳴く声・愁歎する声・法螺貝の声・太鼓の声・鐘の声・鈴の声・笑い声・しゃべり声・男の声・女の声・童子の声・童女の声・教えの声・教えではない声・苦しみの声・快楽の声・凡夫の声・聖人の声・喜びの声・喜ばぬ声・天の声・龍の声・夜叉の声・乾闥婆の声・阿修羅の声・迦楼羅の声・緊那羅の声・摩睺羅伽の声・火の声・水の声・風の声・地獄の声・畜生の声・餓鬼の声・比丘の声・比丘尼の声・自己の悟りのみを求める修行者の声・辟支仏の声・菩薩の声・仏の声を聞くだろう。

この要点を言うならば、三千大千世界の中の全て内外の諸々の声を、未だ天耳を得ていないとしても、父母が生み出した清浄な普通の耳によって皆全て聞き知るだろう。この様に種々の音声を分別しても、聴覚が破壊される事はないだろう」

その時に世尊は重ねてこの意義を述べようとして、仏徳を賛歌して詩を説いて言われました。

「父母が生み出した耳ではあるが清浄で汚れ穢れがなく、この普通の耳によって三千世界の声を聞くだろう。象や馬や牛の声、鐘や鈴や法螺や太鼓の声、琴や瑟や竪琴の声、簫や笛の音声、清らかで美しい歌声、これを聴いても執着せず無数の種類の人の声を聞いて全て理解するだろう。また天人達の声を聞き微妙な歌声および男女の声、童子童女の声を聞くだろう。山や川や険しい谷の中の迦陵頻伽鳥の声、命々鳥などの鳥の声、悉くその音声を聞くだろう。地獄の人々の苦痛、種々の鞭や毒に苦しむ声、餓鬼が飢えや渇きにせめられて飲食物を求め探す声、諸々のアシュラたちが大海のほとりに住んで自ら共に語るとき大音声を出すこと。

この様な説法者はこの世間に安住して、遥かにこの人々の声を聞いても聴覚は破壊されないだろう。十方の世界の中の鳥とけだものが鳴いて共に呼ぶのを、その説法の人はここにおいて悉くこれを聞くだろう。その諸々の梵天、光音天、遍浄天あるいは有頂天の語る音声を、法師はここに住して悉く皆これを聞ことができるだろう。一切の出家した男子衆および諸々の出家した女子、若しくは経典を読み節をつけて唱え若しくは他人の為に説く、法師はここに住して悉く皆これを聞くことができるだろう。また諸々の悟りを求める修行者がいて経法を読み節をつけて唱え、若しくは他人の為に説きすぐれた教えを選んで編集しその意味を理解させようとする、この様な諸々の声をことごとく皆聞くことができるだろう。
諸々の仏や大聖世尊の、生命のあるものすべてを教え導く者が、諸々の大会の中において趣深く何ともいえない味わいがある教えを演説する、この法華の教えを銘記して忘れない者は悉く皆それを聞くことができるだろう。

三千大千世界の内外の諸々の音声、下は阿鼻地獄に至り上は有項天に至るまで、皆その音声を聞いてしかも耳の働きが破壊される事はないだろう。その耳はよく聞こえて鋭いために悉くよく分別して知るだろう。この法華の教えを銘記して忘れない者は未だ天耳を得ていないとしても、ただ父母が生み出した耳を用いてさえ、現世や来世に幸福をもたらすもとになるよい報いは既にこのようになるだろう」

「鼻(はな)」の功徳

「また次に常精進よ。仏法に帰依した男女がこの経の教えを銘記して忘れず、若しくは読み、若しくは節をつけて唱え、若しくは解説し、若しくは書写するならば、これによって彼らは八百の鼻の現世や来世に幸福をもたらすもとになるよい報いを成就するだろう。

この清らかな鼻の働きによって、三千大千世界の上下内外の種々の香りをかぐだろう。須曼那華香・闍提華香・未利華香・瞻葡華香・波羅羅華香・赤蓮華香・青蓮華香・白蓮華香・華樹香・果樹香・栴檀香・沈水香・月桂樹・ジン香及び千万種の和香、もしくは粉末にして作った香、もしくは丸めた香、もしくは塗香など、この経の教えを銘記して忘れない者はこの世間に住してことごとくよく分別するだろう。
また、生命のあるものすべての香り、象の香り、馬の香り、牛や羊などの香り、男の香り、女の香り、童子の香り、童女の香り、及び草や木や樹木が群がって生えている林の香りを分別し知るだろう。若しくは近く若しくは遠くにある諸々の香りを、ことごとく皆かぐことができ識別して間違えないだろう。

この経の教えを銘記して忘れない者は、ここに住しているとしてもまた天上の諸天人の香りをかぐだろう。波利質多羅・拘鞫陀羅香・天上に咲く白い蓮華・天上に咲く白い大きな蓮華・曼殊沙華香・摩訶曼殊沙華香・栴檀・沈水・種々の抹香・諸々の雑華香、これらの天の香が和合して出す香りを、かぎ知らないという事がないだろう。また諸々の天人の身の香りをかぐだろう。帝釈天が宮殿の上にいて五欲を楽しみ遊び戯れるときの香り、若しくは妙法堂の上で三十三天の諸々の天人の為に説法するときの香り、若しくは諸々の庭園において遊戯するときの香り、及び他の天人の男女の身の香り、皆悉く遥かにかぐだろう。
この様に次々と移り変わって梵天に至り、上は有項天に至る天人達の身の香り、また皆これをかぎ、もとに天人達の焚く香の香りをかぐだろう。


そして自己の悟りのみを求める修行者の香り、独りで悟る者の香り、悟りを求める修行者の香り、諸仏の身の香り、また皆遥かにかいでその存在する場所を知るだろう。この香りをかいだとしても、嗅覚能力が破壊されることもなく乱されることもないだろう。もしも他の匂いと比較して他人に説こうとするときも、記憶していてまちがえないだろう」

その時に世尊は重ねてこの意義を述べようとして、仏徳を賛歌して詩を説いて言われました。

「この人の鼻は清らかでこの世界の中に於いて、若しくは芳しいもの若しくは臭いもの、様々に悉くかぎ知るだろう。須曼那華香や闍提香、月桂樹香や白檀香、沈水香や桂香、種々の花や果実の香、及び生命のあるものすべての香り、男子の香り女人の香りを知るだろう。説法者は遠く住して香をかいで所在を知るだろう。


偉大な権威者である転輪王、小転輪王とその子、群臣と諸々の宮廷人、香りをかいでその所在を知るだろう。身につけている珍宝及び地の中の宝蔵、転輪王の宝女、香りをかいでその所在を知るだろう。諸々の人の体を飾る装飾、衣服や珠玉を連ねた首飾りや腕輪、種々の塗香、香りをかいでその身が誰かを知るだろう。

諸々の天人が若しくは行き坐り、遊戯し人知でははかり知ることのできない不可思議な変異を、この法華の教えを銘記して忘れない者は香りをかいでことごとくよく知るだろう。諸々の樹木の花や果実及び牛乳から製した油の香気、この経の教えを銘記して忘れない者はここに住してことごとくその所在を知るだろう。諸々の山の深く険しい場所に栴檀樹の花が咲いていることや、生命のあるものすべての中にある者を香りをかいで皆よく知るだろう。


鉄囲山や須弥山をめぐる八つの大海にある大地の中の諸々の生命のあるものすべて、この経の教えを銘記して忘れない者は香りをかいでことごとくその所在を知るだろう。阿修羅の男女及びその諸々の一族の者、闘い争い遊びたわむれるとき香りをかいで皆よく知るだろう。荒れ果てた野や険しい所の獅子や象や虎や狼、野牛や水牛など香りをかいで所在を知るだろう。

もし妊娠した者があって未だ男か女か、生きる能力を欠いているか人として生まれないかわからないとき、香りをかいで悉くよく知るだろう。香りをかぐ力によって初めて妊娠したか、成就するか成就しないか、安楽によい子を産むかどうかを知るだろう。香りをかぐ力によって男女の心に思いこんでいる事、欲に染まっていることや無智や憎しみの心を知り、また善をなす者を知るだろう。
地中に埋めてある諸々の宝の蔵、金や銀や諸々の珍宝、銅器に盛ったもの、香りをかいで悉くよく知るだろう。種々の諸々の珠玉を連ねた首飾りや腕輪は、その値をよく知る事は出来ないが香りをかいでその貴賤、出所や所在を知るだろう。

天上の諸々の花々、曼荼羅華や曼殊沙華、コーラルジャスミン、香りをかいで悉くよく知るだろう。天上の諸々の宮殿の上中下の差別、多数の宝石をちりばめた花に飾られているのを香りをかいでことごとくよく知るだろう。天の庭園と林や優れた宮殿、諸々の展望台や妙法堂、その中にあって娯楽する天人達を香りをかいで悉くよく知るだろう。天人達が若しくは教えを聴き、若しくは色・声・香・味・触の欲求を満足させるとき、行ったり来たり歩いたり座ったり寝たりするのを香りをかいで悉くよく知るだろう。天女の着た衣の好い花の香りに飾られてぐるぐる回って楽しみ旋回するとき、香りをかいで悉くよく知るだろう。

この様に認識を巡り移らせて上ってそして淫欲を離れた清浄な大梵天に至る、冥想に入る者、瞑想から出る者を香りをかいで悉くよく知るだろう。色界の第二禅天の光音天から色界の第三禅天の遍浄天、そして無色界の有預天に至る、初めて天人として生じたり楽の世界から苦の世界へ堕ちる天人を香りをかいで悉くよく知るだろう。


諸々の出家した男子衆が教えにおいて常に雑念を去り仏道修行に専心し、若しくは坐り若しくは歩き回って思惟し、経法を読み節をつけて唱え或いは林の樹の下にあって精神を集中し坐禅する、この経の教えを銘記して忘れない者は香りをかいで悉くその所在を知るだろう。悟りを求める修行者の志が堅固であり坐禅し若しくは経を読み、或いは人の為に教義を説き聞かせる、香りをかいで悉くよく知るだろう。在在所所の世尊が一切の人に恭しく敬まわれて、生命のあるものすべてを憐れんで教えを説かれるのを香りをかいで悉くよく知るだろう。生命のあるものすべてが仏前にあって経を聞いて皆歓喜し教えに従って修行する、香りをかいで悉くよく知るだろう。未だ悟りを求める修行者がすべての迷いを残らず離れ去る教えから生じた鼻を得てはいないとしても、しかもこの経の教えを銘記して忘れない者はまずこの鼻の相を得るだろう」

「舌(した)」の功徳

「また次に常精進よ。もしも仏法に帰依した男女がこの経の教えを銘記して忘れず、若しくは読み、若しくは節をつけて唱え、若しくは解説し、若しくは書写するならば、千二百の舌の現世や来世に幸福をもたらすもとになるよい報いを得るだろう。

若しくは好いもの、若しくは醜いもの、若しくは美しいもの、若しくは美しくないもの、そして諸々の苦く渋いものをその舌の上におけば、皆変じて上質の味となり、天の甘露のようであって美味くないものはない。
もしもその舌で大衆の中に於いて演説することがあるならば、奥深く優れた声を出してよくその心の中に入って、皆歓喜し心地よく楽しませるだろう。また諸々の天子・天女・帝釈天・梵天・諸天人は、この奥深くて優れた音声と言論の筋道を聴いて皆悉く来て聴くだろう。


そして諸々の龍・龍女・夜叉・夜叉の女・乾闥婆・乾闥婆の女・阿修羅・阿修羅の女・迦楼羅・迦楼羅の女・緊那羅・緊那羅の女・摩睺羅伽・摩睺羅伽の女は、教えを聴こうという理由のために皆やって来て、親しく近づき恭しく敬い供養するだろう。

そして出家男子・出家女子・在家信士・在家信女・国王・王子・群臣・親族・小転輪王・大転輪王・天から授かった七宝と千人の子・内外の親族らは、その宮殿に乗って共にやって来て教えを聞くだろう。この悟りを求める修行者はよく教えを説くので、婆羅門や在家男子や国内の人民は残りの寿命が尽きるまで従い仕えて供養するだろう。


また諸々の自己の悟りのみを求める修行者・独りで悟る者・悟りを求める修行者・諸仏は、常に願ってこれを見るだろう。どこにこの人がいようともその教えを説く所に諸仏は皆向かわれる。悉くよく一切の仏の教えを銘記して忘れず、またよく奥深く優れた教えの音声を出すだろう」

その時に世尊は重ねてこの意義を述べようとして、仏徳を賛歌して詩を説いて言われました。

「この人の味覚をつかさどるものは清らかで、悪い味を味わうという事がない。その食べるものはことごとく皆甘露の味となるだろう。深遠清浄な微妙な声で大衆の中において教えを説くだろう。諸々の因縁や比喩によって生命のあるものすべての心を導いて悟りの道に入らせるだろう。聞く者は皆歓喜して諸々の立派な供養をするだろう。

諸々の天・龍・夜叉、阿修羅など皆恭しく敬う心をもって、共にやって来て教えを聴くだろう。この教えを説く人がもし妙なる音声によって三千世界を満たそうと欲するならば、思いのままによく至るだろう。大小の転輪王および千人の子と親族、合掌し恭しく敬う心をもって常に教えを聴きにやって来るだろう。諸々の天・龍・夜叉、羅刹鬼・毘舎闍鬼らは、また歓喜の心をもって常に願って来て供養するだろう。


梵天王・魔王、自在天・大自在天、この様な諸々の天人衆が常にその場所に来るだろう。諸々の仏および弟子はその教えを説く声を聞き、常に念じて守護しあるときはそのために姿を現わすだろう」

「身(からだ)」の功徳

「また次に常精進よ。もし仏法に帰依した男女がこの経の教えを銘記して忘れず、若しくは読み若しくは節をつけて唱え、若しくは解説し若しくは書写するならば、八百の身の現世や来世に幸福をもたらすもとになるよい報いを得て、清らかな身を得て瑠璃のようであり、生命のあるものすべてが見たいと願うだろう。

その身が清らかであるため、三千大千世界の生命のあるものすべての生まれる時や死ぬ時、上下・好醜・善所悪所が悉く身の中に反映され現れるだろう。また鉄囲山・大鉄囲山・弥楼山・摩訶弥楼山などの諸々の山の王、およびその中の生命のあるものすべて、悉くが身の中に反映され現れるだろう。下は阿鼻地獄に至り上は有頂天に至るまでの間にいる生命のあるものすべて、悉くが自己の身の中に反映され現れるだろう。若しくは自己の悟りのみを求める修行者・独りで悟る者・悟りを求める修行者・諸仏が教えを説く姿が、皆身の中に反映され姿をあらわすだろう」

その時に世尊は重ねてこの意義を述べようとして、仏徳を賛歌して詩を説いて言われました。

「もしも法華経の教えを銘記して忘れないならば、その身が非常に清らかであることは彼の清浄で透明な瑠璃のようであり、生命のあるものすべてが皆見たいと願うだろう。また清浄で透明な鏡に悉く諸々の像を見る様に、悟りを求める修行者の清らかな身において皆世にあるすべてを見るだろう。ただ独り自分のみにおいて明らかで他の人は見る事が出来ない。

三千世界の中の一切の諸々の成長する生きものたち、天人・人・アシュラ、地獄・餓鬼・畜生、この様な諸々の姿の像が皆身の中に映し出され現れるだろう。諸々の天人達の宮殿はすなわち有頂天に至る。鉄囲山および弥楼山、摩訶弥楼山、諸々の大海の水、皆身の中に反映され現れるだろう。諸仏及び自己の悟りのみを求める修行者、仏の弟子や悟りを求める修行者たち、若しくは独りで若しくは衆の中で教えを説いているのが悉く皆現れるだろう。未だすべての迷いを残らず離れ去りあらゆる存在の本来の真実なるあり方としての優れた身を得てはいないとしても、清らかな通常の身によって全てがその中に反映され現れるだろう」

「意(こころ)」の功徳

「また次に常精進よ。もし仏法に帰依した男女が如来がこの世を去ったのちにこの経の教えを銘記して忘れず、若しくは読み若しくは節をつけて唱え、若しくは解説し若しくは書写するならば、これによって千二百の意識の現世や来世に幸福をもたらすもとになるよい報いを得るだろう。

この清らかな意識の働きによって、一つの詩一つの句を聞けば無量無辺の意味に通達するだろう。この意味を悟り終って、よく一つの句一つの詩を説教して一ヵ月、四ヵ月から一年に至るだろう。諸々の説く処の教えは教義に随って説かれ、皆真実の姿と違背しない。もしも世俗の書物や政治的な発言や生計の手段のことなどを説いても、皆正しい教えに順っているだろう。

三千大千世界の六つの領域にいる生命のあるものすべての心の働き・心の動作・心の無意味な論ずる所を皆悉く知るだろう。未だ汚れなき智慧を得てはいないとしても、しかもその認識作用のよりどころとなる器官の働きの浄らかである事はこの様である。この人の思考し推量し言葉で説明することは、皆これ仏の教えであり真実でないものはなく、また過去の仏の経の中に説かれたことである」

その時に世尊は重ねてこの意義を述べようとして、仏徳を賛歌して詩を説いて言われました。

「この人の意識が浄らかであり、明らかであり鋭利であって汚れがなく、この優れた認識作用のよりどころとなる器官の働きによって優れた教え・中ほどの教え・劣った教えを知り、あるいはたった一つの詩を聞いて無量の意味に通達するだろう。次第に教えを説教すること一ヵ月、四ヵ月から一年に至るだろう。

この世界の内外の一切の諸々の生命のあるものすべて、若しくは天や龍および人、夜叉や鬼神等その六つの領域の中にあるその者たちが思ういろいろな考えを、法華経の教えを銘記して忘れない果報として一時に皆悉く知るだろう。十方の無数の仏が百の福に飾られた様相があって、生命のあるものすべての為に教えを説かれるのを悉く聞いてよく教えを銘記して忘れないだろう。無量の意義を思考して教えを説くことまた無量であって終始忘れたりまちがえたりしない、法華経の教えを銘記して忘れないことによるために。

すべての世に存在する有形無形の一切のもの姿形を知り、意味に随ってそうなるに至った理由を知り、文字や語言に通達して知っている通りに説くだろう。この人の説く事柄は皆これ過去の仏の教えである。その教えを説くのであるから衆の中にあって畏れるところがない。法華経の教えを銘記して忘れない者は認識作用のよりどころとなる器官の働きの清らかなことはこのようである。未だ煩悩のない境地を得てはいないとしても、まずこの様な姿があるだろう。

この人はこの経の教えを銘記して忘れず希有の境地に留まって、一切の生命のあるものすべてを歓喜させ親愛と尊敬の念をもたれる。よく千万種の人々の能力に応じて巧みに善く教え導き仏の利益を与える言葉によって分別して演説するだろう、法華経の教えを銘記して忘れないという理由のためである」

■ 主な参照文献

  • 『現代語訳 法華経』(2025年11月刊」)
    創価学会教学部 編(聖教新聞社)
    ※本文の構成・現代語訳・語義理解の確認に使用
  • 『法華経』
    坂本幸男・岩本裕 訳注(岩波文庫、岩波書店)
    ※サンスクリット原典の構造および仏教用語の学術的確認のため参照
  • 『妙法蓮華経 並開結』
    (鳩摩羅什 訳)
    ※漢訳原典に基づく章構成・ストーリーの流れの確認に使用
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
目次