はじめに
法華経の第十二章にあたる「提婆達多品(だいばだったほん)第十二」は、法華経の平等思想が極まる非常に重要な章です。
前半では、釈尊を何度も命の危険にさらし教団を分裂させようとした極悪人「提婆達多(だいばだった)」が、実は過去世においてお釈迦様を仏の道へ導いた恩人であったと明かされ、未来の成仏が約束されます(悪人成仏)。そして後半では、当時成仏できないとされていた女性、しかも八歳の龍の娘(龍女)が、一瞬にして仏の姿に変わって見せるという奇跡(女人成仏・即身成仏)が描かれます。どんな存在でも必ず救われるという法華経の真髄が説かれるこの章の全文を、現代語訳でお届けします。
過去世における提婆達多との因縁
その時に仏は、諸々の悟りを求める修行者、天人、人間、出家者、在家者の男女にお告げになりました。
「私は過去において計り知れないほど長い時の間、法華経を求めたが心の働きが鈍くなりいやになる事はなかった。きわめて長い時間の中において常に国王となって衆生を救済しようと決意し、この上ない悟りを求めたが心は修行を怠り一度得た悟りを失って低いほうに落ちることはなかった。
六種の修行を十分にしようとして布施行を修行したが、象や、馬や、七種の珍宝や、国城や、妻子や、召使いの男女や、召し使いや、頭や、眼や、髄や、脳や、身や、肉や、手や足を心の中で物惜しみすることはなく、体や命をも惜しんだ事がなかった。
その時の世間の人民の寿命は数え切れないほど長かった。教えの為という理由で国王の位を捨てて政治は太子に任せ、太鼓を打って四方に宣言して教えを求めた。
『誰が私の為に、利他の精神による衆生の救済をよく説いてくれるであろうか。私は当然、この身を終えるまで物を供給し使用人となるであろう』
その時に仙人がいた。王の所にやって来てこう言った。
『私は大乗経典を持っている。妙法華経と名づけ奉る。もしも私との約束を守られるのなら当然あなたのために説きましょう』
王は仙人の言葉を聞いて非常に喜び躍り上り、すぐに仙人に随って求める物を供給し、果実をとり、水を汲み、薪を拾い、食事の仕度をし、自分の身を寝椅子や腰掛としたりもしたが、身も心もいやになる事はなかった。その時、仕えること千年が経って、教えのための故にまじめに励み給仕して何の不足もないようにした」
その時に世尊は重ねてこの意義を述べようとして、仏徳を賛歌して詩を説いて言われました。
「私は過去の計り知れないほど長い時間を思うと、大乗の教法を求めるという目的のために世の国王となったといえども、財欲・色欲・飲食欲・名誉欲・睡眠欲の快楽を貪るということはなかった。鐘を叩いて四方に告げた。『誰か大乗の教法を具えている者はいるか。もしも私のために解説すれば、私の身は当然雑役に使われる下男となるだろう』
その時に阿私(あし)という名の仙人がいた。やってきて大王に告げた。『私は複雑で難しい教えを持っている。世の中ではとても珍しいものである。もしよく修行すれば私は当然おまえのために説くだろう』
このときに王は仙人の言葉を聞いて心に大きな喜びを生じ、すぐに仙人に従って望むものを提供し、薪や果物を取って時に従って恭しく敬って差し上げ、心の中に言葉では言いつくせない深い教えへの志があるために、身も心も善行を修めるのに積極的でない心の状態にはならなかった。
全て諸々の生命のあるものすべのために、すぐれた仏の教法を勤めて求めて、またわが身のためや財欲・色欲・飲食欲・名誉欲・睡眠欲を満たすことをせず、その理由のために大国の王となってつとめて仏の教えを求めこの教えを得て、ついに煩悩を断ち無上の悟りを開くに至った。今この理由のためにおまえのために説く」
提婆達多への授記:天王如来
仏は諸々の出家男子にお告げになりました。
「その時の王とは、すなわち私自身これである。その時の仙人とは、今の提婆達多(だいばだった)これである。
提婆達多は人々を仏の道へ誘い導く人(善知識)であったから、私に六種の修行、人々をあわれみ楽しみを与え苦しみを取り除くこと、僧や貧者に金品を寄付すること、仏のみが備える三十二のすぐれた身体的特徴、仏菩薩に具わる八十の微細な良い特徴、紫色を帯びた黄金色の肌と、十種の超人的な知力、仏菩薩が説法する際に抱く畏れることのない四種の自信、仏菩薩が衆生を悟らせるための四つの方法、十八種の仏独特の特徴と、神通力と、道力とを備えられるようにしてくれたのだ。
生死の迷いを去って一切の真理を正しく平等に悟ったこと、広く生命のあるものすべてを悟りの境地に導いたことは、皆、堤婆達多が人々を仏の道へ誘い導く人であった事によるのだ。
仏は四種の仏弟子である出家男子、出家女子、在家信士、在家信女にお告げになりました。
提婆達多はこの世を去ってのち、無量劫を過ぎて仏になるであろう。
その名を天王(てんのう)如来・応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊と言い、仏に対する十種の称号を得るであろう。その世界を天道と名づけるであろう。
その時に天王仏は世に住すること二十中劫であり、広く生命のあるものすべての為に優れた教えを説くだろう。ガンジス河の砂の数に等しい生命のあるものすべては阿羅漢に到達した境地に入る事ができ、数え切れないほどの生命のあるものすべては独りで悟りをひらく者の心をおこし、ガンジス河の砂の数に等しい生命のあるものすべては無上道に向かう心をおこして生じることも滅することもないという真理を認識することを得、仏道修行の過程ですでに得た境地から後戻りしないであろう。
この天王仏が最後の悟りを得た境地に入りこの世を離られた後、正しい修行によって悟りが得られる時代は二十中劫の間世に行なわれるであろう。仏の全身の遺骨を納める七宝の塔を建て、高さ六十由旬(420Km)、縦横四十由旬(280Km)であろう。諸々の天人や人間は皆、色々な花や、抹香や、焼香や、塗香や、衣服や、瓔珞や、瞳幡や、天蓋や、伎楽や、歌曲によって、七宝の素晴らしい塔を礼拝し供養するであろう。
無量の生命のあるものすべては最高の自己の悟りに達した聖者の境地になり、無数の生命のあるものすべては独りで悟る者の境地を悟り、考えられぬほど多くの生命のあるものすべては悟りを求め世の人を救おうとする心をおこして、すでに得た境地から後戻りしないであろう」
仏は、出家得度して具足戒を受けた男子にお告げになりました。
「未来世において仏法に帰依した男子や仏法に帰依した女子が、妙法華経の堤婆達多品を聞いて浄らかな心で信じ敬って疑いを生じない者は、地獄・餓鬼・畜生の世界に堕ちず十方の仏の前に生まれるであろう。生まれた所では常にこの法華経を聞くであろう。もしも人間や天人の中に生まれたならきわめてすぐれている楽しみを受け、もしも仏の前にあるなら蓮花の中に母胎からでなく忽然として生まれるであろう」
文殊師利菩薩と智積菩薩の問答
その時、下方にいた多宝如来に従っている智積(ちしゃく)という名の悟りを求める修行者が多宝如来に「本土へ還りましょう」と言いました。
釈迦族の聖者の如来は、智積菩薩にお告げになりました。
「仏法に帰依した男子よ、しばらく待て。ここに悟りを求める修行者がいる。文殊師利(もんじゅしり)という名である。共に会って優れた教えを話し合い、本土に還られるのがよい」
その時に文殊師利は、千枚の葉がある車輪のように大きな蓮華に座り、共にやって来た悟りを求める修行者もまた宝蓮華に坐り、大海の婆葛羅(さから)龍王の宮殿から自然に涌き上って来て虚空に静止し、耆闍崛山に参上して蓮華から下りて仏前にやって来て、二人の世尊の足を額に頂いて敬礼し、敬って礼拝をし終って智積菩薩の処に行き、共に挨拶をしてから一隅に坐りました。
智積菩薩は文殊師利に問いました。
「龍王の宮殿に行かれて教化された衆生、その数はどれほどか」
文殊師利は言いました。
「その数は無量であって数えることは出来ない。口で説明することも出来ない。心で測ることも出来ない。しばらく待て。自ずからその証拠が当然あるべきである」
こう言い終らぬうちに、無数の悟りを求める修行者が宝蓮華に坐って海より涌き出し、耆闍崛山に参上して虚空に停止して留まりました。
この諸々の悟りを求める修行者は、皆文珠師利によって教え導かれ迷いから救われた者達でした。悟りを求める修行者としてなすべき実践を具え、皆共に涅槃に至るための六つの徳目を説きました。本をただせば自己の悟りのみを求める修行者であった人は虚空の中にありました。そして自己の悟りのみを求める修行者としてなすべき実践を説きました。今は皆すべての衆生の平等な救済と成仏を説く教えのなかの、すべての事物はみな因縁によってできた仮の姿であり永久不変の実体や自我などはないという意義を修行しているのです。
文殊師利は智積に説明しました。
「海において教え導いたその事実はこの通りである」
その時、智積菩薩は詩によって賛嘆して言いました。
「偉大な知恵と徳があり力強く健やかであり、無量の人々を教え導いて迷いから救った。今この諸々の大いなる集いおよび私は皆既に見た。あなたが真実の本性の意義を演説し、仏に成るために一切衆生を乗せて仏の悟りへと運ぶ一乗の教えを開き明らかにして、広く諸々の多くの衆生を導いて速やかに煩悩を断ち切って悟りの境地に達成させたことを」
文殊師利は言いました。
「私は海の中に於いて、ただ常に妙法華経を述べて解き明かした」
智積菩薩は文殊師利に問うて言いました。
「この経典は意味や境地などが深遠であり細かく複雑であって、諸々の経典の中の宝、世の中にめったにないものである。生命のあるもので一生懸命雑念を去り仏道修行に専心しこの経を修行して、速やかに仏になる事ができた者が誰か居るだろうか」
文殊師利は言いました。
「居る。婆葛羅龍王の娘、年は八歳である。智慧は生まれつき賢く、よく生命のあるものすべての目・耳・鼻・舌・肌・意による行状を知り、教えの真理を記憶する力、行者を守る力、神通力を与える力である陀羅尼を得、諸仏の説かれた非常に奥が深い秘蔵の教えを全てよく銘記して忘れず、深く精神を集中し寂静の心境に達し、諸々の教えを心によく悟り、きわめて短い時間の間に悟りに向かう心を起こして信念を持ち何事にも屈しないことを得た。
巧みに話す能力は何ものにもとらわれず、生命のあるものすべてを慈しみ念ずることはあたかも赤子のようである。現世や来世に幸福をもたらすもとになる善行を備えて心に念じ言葉に語ること、何ともいえない美しさや味わいがあり広く大きい。慈悲心が深く憐れみが深く、こころはおだやかであって奥ゆかしく巧みに煩悩を断ち切って悟りの境地に達した」
智積菩薩が言いました。
「私が釈迦如来を見奉れば、限りなく長い時間において難行苦行し幸福をもたらすもとになる善行を積み重ねて、悟りを求める修行者の道を求めて未だかつて休息されたことがない。三千大千世界の物事を細心に分別して観察してみると、芥子粒ほども釈迦如来が悟りを求める修行者のときに身や命を犠牲になさらなかったことなどなかった。生命のあるものすべてのためという理由であった。そうして後に悟りの智恵の道を成就することを得たまわれた。信じられない。この娘が一瞬の間に於いて真の悟りを得たということが」
八歳の龍女の即身成仏
言葉がまだ終らないうちに、龍王の娘は突然前に現われて世尊の足を額に頂いて礼拝し、退いて一隅に坐り詩によって讃えて言いました。
「仏は深く罪と幸運の兆候を達観して普く十方を照らされる。何ともいえない美しい清浄な法体となった身、外面に現れた兆しを具えること三十二。仏の身体に備わる八十種の特徴によって真理そのものとしての本体を飾る。天人や人間の仰ぎいただく処であって龍や鬼神もすべて恭しく敬う。この世に生を受けたすべての生き物で尊ばない者はない。教えを聞いて煩惱を断ち切って悟の境地に達したことを只仏のみが証明し当然知っているはずだ。私は衆生の平等な救済と成仏を説きそれが仏の真の教えの道であるという教えの意義を明らかにして、迷いの世界から脱出させよう」
その時に舎利弗は、龍王の娘に言いました。
「おまえは教えを聞いてすぐに無上道を得たと言っているが、この事は信じ難い。理由は何故かというと、女の身は垢で汚れて仏の教えを受け入れる素質や仏道修行に耐えられる能力がないからだ。どうして煩悩を断ち切ってこの上ない悟りの境地に達することが出来ようか。仏道は長く広範囲で、限りなく長い時間非常に苦労し修行を積み、つぶさに六種の修行を修めてしかるのちに完成するのだ。
また、女性の身にはなお五つの障りがある。第一に色界の初禅天の王になる事が出来ない。第二に帝釈天、第三に魔王、第四に転輪聖王、第五に仏の身になる事が出来ない。どうして女の身が早く煩悩を断ち無上の悟りを開くことができようか」
その時に龍王の娘は、一つの宝珠を持っていました。その価値は三千大千世界ほどありました。それをもって仏に献上しました。仏はすぐにこれを受け取られました。
龍王の娘は智積菩薩と尊者舎利弗にこう言いました。
「私は宝珠を献上いたしました。世尊がお納めくださったこのことは、速かったですかそうではないですか」
答えて言いました。
「とても速かった」
娘が言いました。
「あなたの神通力によって、わたしが煩悩を断ち無上の悟りを開くことを観なさい。またこれよりも速いであろう」
この時その集まりの人々は皆、龍王の娘が突然変わって男となり悟りを求める修行者の修行を備え、そして南方の煩悩のけがれを離れて清浄である世界に行き、宝蓮華に坐って生死の迷いを去って一切の真理を正しく平等に悟ることを完成し、仏の身体に備わる優れた三十二の相と八十種の特徴があり、広く十方のこの世に生を受けたすべての生き物に言葉では言いつくせない意味の深い教えを説いているのを見ました。
その時、娑婆世界の悟りを求める修行者と自己の悟りのみを求める修行者と、天龍八部衆と人間と人間でないものと皆は、遥かにあの龍王の娘が仏に成って広くその時の会の人や天人達のために教えを説いているのを見て、心は大いに歓喜して全てみな遥かに敬って礼拝をしました。
数え切れないど多くの生命のあるものすべてが教えを聞いて悟り、仏道修行の過程ですでに得た境地から後戻りしない境地に入り、数え切れないどの多くの生命のあるものすべてが未来世の成仏の証言を得ました。
煩悩のけがれを離れて清浄である世界は六種に震動しました。娑婆世界の三千の生命のあるものすべては仏道修行の過程ですでに得た境地から後戻りしないようになり、三千の生命のあるものすべては悟りを求めようとする心をおこし未来世で煩悩を断ち無上の悟りを開くことの証言を得ました。
智積菩薩および舎利弗と全ての集まった人々とは、何も言わずに黙って信じ受け入れました。

■ 主な参照文献
- 『現代語訳 法華経』(2025年11月刊」)
創価学会教学部 編(聖教新聞社)
※本文の構成・現代語訳・語義理解の確認に使用 - 『法華経(上)』
坂本幸男・岩本裕 訳注(岩波文庫、岩波書店)
※サンスクリット原典の構造および仏教用語の学術的確認のため参照 - 『妙法蓮華経 並開結』
(鳩摩羅什 訳)
※漢訳原典に基づく章構成・ストーリーの流れの確認に使用