はじめに
法華経の第十七章にあたる「分別功徳品(ふんべつくどくほん)第十七」は、前章(如来寿量品)で釈尊が明かした「仏の寿命は永遠である(久遠実成)」という真実を聞いた数え切れないほどの大衆が、どのような素晴らしい利益(功徳)を得たのかを分類(分別)して説明する章です。
また、仏が世を去った後に、法華経を信じ、読み、広める者がどれほど偉大な功徳を得るのかが克明に語られます。法華経を信じることの尊さが説かれるこの章の全文を、現代語訳でお届けします。
仏の永遠の命を聞いた大衆が得た功徳
その時に大いなる集いで、仏の寿命の劫数が永遠である事が説かれたのを聞いて、無量無辺の数えられないほどの生命のあるものすべては大いなる利益を得ました。
その時に世尊は、弥勒菩薩摩訶薩にお告げになりました。
「阿逸多(あいった=弥勒菩薩の別名)よ、私がこの如来の寿命が永遠である事を説いたとき、六百八十万億那由他のガンジス河の砂の数に等しい生命のあるものすべてが、生じることも滅することもないという真理を認識することを得た。
また、千倍の悟りを求める修行者と大乘を求める修行者があって、佛の教えを聞き心に保つ能力を得た。
また、一世界を微塵にした数に等しい悟りを求める修行者と大乘を求める修行者があって、こだわりや偏見のない心で自在に教えを説く力を得た。
また、一世界を微塵にした数の悟りを求める修行者と大乘を求める修行者があって、百千万億無量の教えの繰り返しを保つ能力を得た。
また、三千大千世界を微塵にした数の悟りを求める修行者と大乘を求める修行者があって、修行の過程ですでに得た境地から後戻りしない教えをよく説いた。
また、二千の中国土を微塵にした数の悟りを求める修行者と大乘を求める修行者があって、よく清らかな教えを説いた。
また、小千国土を微塵にした数の悟りを求める修行者と大乘を求める修行者があって、八回生まれかわった後に一切の真理をあまねく知った最上の智慧を得るであろう。
また、須弥山の四方の海にある四つの大陸を四つ全て微塵にした、その微塵の数に等しい悟りを求める修行者と大乘を求める修行者があって、四回生まれかわった後に一切の真理をあまねく知った最上の智慧を得るであろう。
また、須弥山の四方の海にある四つの大陸を三つ全て微塵にした、その微塵の数に等しい悟りを求める修行者と大乘を求める修行者があって、三回生まれかわった後に一切の真理をあまねく知った最上の智慧を得るであろう。
また、須弥山の四方の海にある四つの大陸を二つ全て微塵にした、その微塵の数に等しい悟りを求める修行者と大乘を求める修行者があって、二回生まれかわった後に一切の真理をあまねく知った最上の智慧を得るであろう。
また、須弥山の四方の海にある四つの大陸を一つ微塵にした、その微塵の数に等しい悟りを求める修行者と大乘を求める修行者があって、一回生まれた後に一切の真理をあまねく知った最上の智慧を得るであろう。
また、八つの須弥山を中心とした四州を微塵にした数の生命のあるものがあって、皆、一切の真理をあまねく知った最上の智慧に向かう心をおこした」
この諸々の悟りを求める修行者と大乘を求める修行者が大いなる教えの利益を得る事を仏が説かれたとき、虚空の中から天上に咲く白い蓮華と天上に咲く白い大きな蓮華を降らして、それを無量百千万億の宝石の樹の下の獅子座の上の諸仏に散じ、さらに七宝の塔の中の獅子座の上の釈迦族の聖者の如来と永遠に生死の迷いを超越した悟りの境地に入った多宝如来に散じ、また一切の偉大な悟りを求める修行者や出家した男女と在家の男女に散じました。
また、細かな粉末の栴檀香や沈水香などを降らし、虚空の中で天の太鼓が自然に鳴り妙なる声が深遠に響きました。
また、千種の天衣を降らし、諸々の珠玉を連ねた首飾りや腕輪や、真珠を連ねた首飾りや腕輪や、マニ珠を連ねた首飾りや腕輪や、如意宝珠を連ねた首飾りや腕輪を垂れて普く九つの方向に懸けました。多くの宝石をちりばめた香炉で値がつけられぬほど高価な香を焚いて、自然に隅々まで至って大いなる集いを供養をしました。
各々の仏の上に諸々の悟りを求める修行者がのぼり旗と傘を持ち、順所よく並んで昇って梵天界に至りました。この諸々の悟りを求める修行者は、妙なる音声で無量の詩を歌って諸仏を讃嘆し奉りました。
その時、弥勒菩薩は座から立ち上って右の肩をあらわにし、仏に向かって合掌しこれらの詩を説きました。
「仏は希有な教えを説かれた。昔より未だかつて聞いたことのないことである。世尊には大神通力があり、寿命は量る事が出来ない。無数の諸々の仏の弟子は、世尊がもろもろの事理を思量し識別して教えの利益を得るということについて説かれるのを聞き、歓喜は身に満ち溢れた。
或いは修行の過程ですでに得た境地から後戻りしない境地に留まり、或いは教えを記憶して保つ力を得、或いはこだわりや偏見のない心で説き、万億の悪法を捨てて善法を持ち続ける功徳を総て持つことをめぐらし、或いは大千世界を微塵にした数に等しい悟りを求める修行者があって各々が皆よく修行の過程ですでに得た境地から後戻りすることなく教えを説いた。
また中千世界を微塵にした数に等しい悟りを求める修行者があって各々が皆よく清らかな教えを説いた。
また小千世界を微塵にした数に等しい悟りを求める修行者があって、各々、のこり八回生まれかわり仏道を完成するに違いない。
或いは四つ、三つ、二つの、このような須弥山の四方の海にある四つの大陸を微塵にした数の悟りを求める修行者があって、生まれかわる数に従って仏と成るであろう。
或いは須弥山の四方の海にある四つの大陸の一つを徹塵にした数の悟りを求める修行者があって、残り一回の生涯を終えて一切のものについて完全に知る智慧を得るに違いない。
これらの生命のあるものすべては仏の寿命の永遠である事を聞いて、無量の煩悩のない境地や清らかな前世での行いの結果として現世で受ける報いを得た。
また八世界を微塵にした数の生命のあるものがあって仏の寿命の説かれるのを聞いて皆この上もない心をおこした。
世尊が計り知れない不可思議な教えを説かれて、多くを豊かに利益することは虚空が広々として果てしないことのようであった。天上に咲く白い蓮華、天上に咲く白い大きな蓮華を降らして、帝釈天と梵天はガンジス河の砂の数に等しいほど無数の仏国土から来られた。栴檀香や沈水香を降らして多くのものが入り乱れ落ち、鳥の飛んで空より下るように諸仏に供養した。天の太鼓は虚空の中において自然に妙なる音声を出し、天衣は千万億、くるくると旋回しながら舞い落ちた。種々の宝石でできた不思議なほどにすぐれた香炉に値のつけられぬほど高価な香を焚き、自然に隅々に廻りめぐって諸々の世尊を供養した。
その偉大な悟りを求める修行者たちは、七宝ののぼり旗と傘の立派で優れた万億種類を手に持ち、次第に昇って梵天界に至った。一つ一つの諸仏の前に宝の旗ほこに飾り布をかけ、また千万の詩によって諸々の如来を歌い詠み奉った。
このような種々の事は昔から今まで一度もなかったことである。仏の寿命の無量である事を聞いて一切の者は皆歓喜した。仏の名は十方に聞こえて広く生命のあるものすべてを豊かに利益した。一切のよい報いを招くもとになる行為を備えそれによって心をこの上もなく助けた」
法華経を信じ受持する者の絶大な功徳
その時に仏は、弥勒菩薩摩訶薩にお告げになりました。
「阿逸多よ、もし生命のあるものすべてが仏の寿命が永遠であることがこのようであると聞いて、ただ一念でも仏の教えを信ずることによってその教理を会得する心を起こしたならば、得る処の現世や来世に幸福をもたらすもとになる善行は限りないものとなるであろう。
もしも仏法に帰依した男子や仏法に帰依した女子が、一切の真理をあまねく知った最上の智慧の為という理由によって八十万億那由他劫の間、五種の修行をしたとしよう。布施の修行・持戒の修行・忍辱の修行・精進の修行・禅定の修行である。智慧を完成させる修行は除く。この功徳を前の功徳に比べると、百分の一、千分の一、百千万億分の一にも及ばない。算数や比喩でも知ることは出来ない。もしも仏法に帰依した男子がこのような現世や来世に幸福をもたらすもとになる善行を行うならば、一切の真理をあまねく知った最上の智慧において修行を怠り一度得た悟りを失って低いほうに落ちるような事は決してない」
その時に世尊は重ねてこの意義を述べようとして、仏徳を賛歌して詩を説いて言われました。
「もしも人が仏の智慧を求めて、八十万億那由他の劫数の間、布施・持戒・忍辱・精進・禅定を行じたとする。この諸々の劫の長い間において仏、及び仏の教えによらず十二因縁を観じて理法を悟った者と弟子と、ともに諸々の悟りを求める修行者たちに布施をして供養したとする。珍しい飲食物と上等の服と寝具と、栴檀の木で僧の仏道修行所を建て庭園と林によって美しく飾り、この様ないろいろな布施、種々にみな趣深く繊細であった。この諸々の長い時間の間をすべて、これをもって仏道のために自分の修めた現世や来世に幸福をもたらすもとになる善行を他にも差し向け自他ともに悟りを得るための助けとしたとする。
もしもまた禁じ戒めることを守って、清らかで必要な事物が欠け落ちていることがなく、この上ない道の諸仏の讃嘆されることを求めたとする。もしもまた侮辱や苦しみに耐え忍び心を動かさない修行をして、心を整え柔和な境地を保ち続け、たとえ諸々の悪が来て害を加えてもその心は動揺せず、諸々の仏の教え得た者が悟りの域に達していないのに既に悟っているという自惚れの心を懐き彼らによって軽蔑され悩まされても、このような事もよく忍んだとする。
もしもまた仏道の実践に努め雑念を去り仏道修行に専心し心に深く思っていることがつねに堅固であって、無量億劫の間一心に善行を修めることを怠けなかったとする。また無数劫の間、人の中から離れた静かで修行に適した場所に住み、或いは坐り或いは歩きまわって心身を整えるために一定の場所をゆっくり歩き、眠りを除いて常に精神を集中し乱さなかったとする。この因縁によってよく思いを静め心を明らかにして真正の理を悟るための修行する事が出来た。八十億万劫の間それ以上を望まず現にある境遇に満足して心が乱れず、この一心の福を保ってこの上ない道を願い求めた。『私は一切のものについて完全に知る智慧を得て、思いを静め心を明らかにして真正の理を悟るための修行の限界を完成しよう』と。この人は百千万億劫の数の中に於いて、この諸々の現世や来世に幸福をもたらすもとになる善行を行うこと上に説いたようであった。
しかし仏法に帰依した男子と女子がいて私の寿命を説くのを聞いて、そして非常に短い時間でも信じるならば、その福は彼の人よりも優れている。もしも人が悉く一切諸々の疑いや後悔がなくなり、深い心でほんの少しの間でも信じるならその福はこのようになる。諸々の悟りを求める修行者で無量劫の間道を行ずる者がいて、私の寿命のことを説くのを聞いてこれによってよく信じ受けいれるならば、このような諸々の人々はこの経典を押し頂いて受けいれるであろう。
『私は未来世において長寿であって生命のあるものすべてを救うことは、今日の世尊が釈迦族の中の王として道場に獅子がほえて百獣を恐れさせるように意気盛んな大演説をして教えを説き畏れるところがないように、我らも未来世において全ての人々に尊敬されて道場に座るとき寿命を説くことがまたこのようになりたい』と願う。ひたすら仏道を求めようとする心のある者は清らかで地味で真面目であり、多くの物事を聞き知って仏の説くところをよく記憶して忘れず教義に従って仏の言葉を理解するであろう。この様な諸々の人はこの事について疑うことはない」
「阿逸多よ、もし仏の寿命が永遠であることを聞いてその言葉の意味を理解する者がいるなら、この人の得る現世や来世に幸福をもたらすもとになる善行は限りがなく、よく如来の無上の物事をよく見極め道理を正しく把握する智慧をおこすであろう。言うまでもなく、広くこの経を聞き、もしくは人にも聞かせ、もしくは自分でも仏の教えを銘記して忘れず、人にも教えを銘記して忘れないようにさせ、もしくは自分でも書き、もしくは人にも書かせ、もしくは花・香・珠玉を連ねた首飾りや腕輪・仏堂に飾る旗・絹の笠・香油・香油燈をもって経巻に供養する者はなおさらのことである。この人の現世や来世に幸福をもたらすもとになる善行は無量無辺であり、よく万物が本来は空であって平等無差別であることを知るとともに現象として出現する諸相をすべて知る仏の最高の智慧を生ずるであろう。
阿逸多よ、もし仏法に帰依した男子と女子が私の寿命が永遠である事を説くのを聞いて、ひたすら仏道を求めようとする心でその教理を会得したならば、即ち仏が常に耆闍崛山(ぎじゃくっせん)に在って共に偉大な悟りを求める修行者や声聞たちに周りを右回りに歩く作法で礼拝されて教えを説いているのを見、またこの娑婆世界のその地面が瑠璃であって平らかであり、閻浮樹の森を流れる川の底からとれるという砂金の縄で八道の境をし、宝石の樹々が並び立ち、諸々の高い建物がみな宝石によって作られ、その悟りを求める修行者たちがその中に住んでいるのを見る。もしもよくこのように観察することができる者は当然知るべきである、これを深く仏法を信ずることによってその教理を会得する姿と名づける。
また如来がこの世を去った後に、もしもこの経を聞いて非難せずありがたく思い大いに喜ぶ心をおこしたなら、当然知るべきである、既に深く仏法を信ずることによってその教理を会得する姿であると。言うまでもなくこれを読み節をつけて唱え教えを銘記して忘れない者は尚更のことである。この人はすなわち如来を頭の上に頂いているのだ。
阿逸多よ、このような仏法に帰依した男女は、私の為に塔寺を建てまた僧房を作り飲食・衣服・臥具・湯薬で衆僧を供養する必要はない。理由は何故かというと、このような仏法に帰依した男女でこの経典の教えを銘記して忘れず読み節をつけて唱えようとする者は、既にそれによって塔を建て僧房を作り衆僧を供養したからである。すなわちそれは仏の遺骨の上に七宝の塔を建て、高く広く少しずつ小さくなって梵天界にまで至り、諸々の幟旗と笠および宝石の鈴をかけ、花・香・瓔珞・抹香・塗香・焼香・太鼓・伎楽・複数の竹管を束ねた笛・竪琴・種々の舞戯があり、妙なる音声によって詩を歌い讃える事になる。すなわちこれは既に無量千万億劫の間この供養をなし終えたのだ。
阿逸多よ、もしも私がこの世を去った後にこの経典を聞いてよく仏の教えを銘記して忘れず、自分でも書きもしくは人にも書かせる者があったなら、即ちそれは僧房を建立し赤栴檀で殿堂を作ること三十二、その高さ八多羅樹(120m)、高く広く美しく百千の出家した男子がその中に住み、園林・浴池・心身を整えるために一定の場所をゆっくり歩きまわる所・坐禅窟・衣服・飲食・臥具・湯薬・一切の楽しみの道具がその中に充満し、この様な僧房・堂閣が幾百千万億であってその数は無量である。これをもって目の前において私や出家した男子や僧に供養した事になるのだ。
この理由のために私は説く。『如来がこの世を去った後に、もし仏の教えを銘記して忘れず読み節をつけて唱え他人の為に説き自分でも書きもしくは他人にも書かせ経巻を供養するならば、また塔寺を建て僧房を作り衆僧を供養したりする必要はない』と。
言うまでもなく、ある人がこの経の教えを銘記して忘れず、さらに布施・持戒・忍耐・雑念を去り仏道修行に専心し・あらゆる現象の根源にある心・智慧を行ずるならば尚更のことである。その徳は最も優れていてはかり知れないであろう。例えば虚空の東・西・南・北・四維・上下がはかり知れないように、この人の現世や来世に幸福をもたらすもとになる善行もまたこのようである。無量無辺であって速やかに仏の有する最高の完全無欠な智慧に至るであろう。
もしもある人がこの経を読み節をつけて唱え教えを銘記して忘れず、他人の為に説き自分でも書き人にも書かせ、またよく塔を建てそして僧房を作り仏弟子の僧達を供養し讃嘆し、また百千万億の讃嘆の儀式で悟りを求める修行者の現世や来世に幸福をもたらすもとになる善行を讃嘆し、また他人の為に種々の因縁によって教義に従ってこの法華経を解説し、またよく清らかに戒を堅く守り柔和な者と共に住し侮辱や苦しみに耐え忍び心を動かさず、自分の心に逆らうものを怒り恨むことをせず志念堅固であって常に坐禅を尊び諸々の深遠な精神の安定を得、雑念を去り仏道修行に専心し勇猛であって諸々の善い教えを取り入れるならば、鋭利な五根(眼根・耳根・鼻根・舌根・身根)をそなえ智慧がありよく難問に答えるであろう。
阿逸多よ、もしも私がこの世を去った後に仏法に帰依した男女がこの経典の教えを銘記して忘れず読誦する者ならば、またこの様な諸々の現世や来世に幸福をもたらすもとになる善行があるであろう。当然知るべきである、これらの人々は既に道場に赴き一切の真理をあまねく知った最上の智慧に近づき、仏道の樹の下に坐しているのだ。阿逸多よ、これらの仏法に帰依した男女が、もしくは坐ったりもしくは立ったり、もしくは心身を整えるために一定の場所をゆっくり歩く所には、この中には塔を建てよ。一切の天人や人は皆供養すること仏の塔のようであろう」
その時に世尊は重ねてこの意義を述べようとして、仏徳を賛歌して詩を説いて言われました。
「もしも私がこの世を去った後によくこの経を奉り教えを銘記して忘れないならば、この人の福は計り知れないこと上で説いた事柄のようである。これはすなわちこのようにすべての諸々の供養を施し、仏の遺骨の上に塔を建て七宝によって華麗に飾り、仏塔の中心となる柱は非常に高く広く上は徐々に小さくなり梵天まで至る。宝の鈴は千万億であり風に揺れて妙なる音を出し、また限りなく長い時間においてこの塔に花、香諸々の珠玉を連ねた宝華状の荘厳、天の衣や種々の伎楽、香油燈を燃やして周りを常に明るく照らす。悪い世の中で仏法の衰えた時代によくこの経の教えを銘記して忘れない者は、すなわちこれは上のように諸々の供養を施したのだ。
もしもよくこの経の教えを銘記して忘れないなら、すなわち仏の現前において南インドの牛頭山に産する栴檀から作った香木によって僧の起居する建物を建立し供養し、堂は三十二あって高さは八多羅樹(120m)あり、優れた供え物や上等な衣服、室内の板を張った所や寝床みな備わっていて百千の衆がそこに住み、庭園と林諸々の沐浴する池や心身を整えるために一定の場所をゆっくり歩きまわる所や座禅窟、種々にみな荘厳で好ましくするようなものである。
もしも仏法を信ずることによってその教理を会得する心があり、教えを銘記して忘れず読み節をつけて唱え書き、もしくはまた人にも書かせ、そして経巻を供養し、花、香、粉末の香を撒き、須曼那華香(スマナス)・瞻葡華香(チャンバカ)・阿提目多迦花の芳香を放つ油を用いて常にこれを燈すならば、このように供養するものは計り知れない現世・来世に幸福をもたらすもとになる善行を得る。虚空は広々として果てしないようにその福もまたこのようである。
言うもでもなくまたこの経の教えを銘記して忘れず、侮辱や苦しみに耐え忍び心を動かさず精神を集中し寂静の心境に達することを願い、自分の心に逆らうものを怒り恨むことなく悪口を言わないものはなおさらである。仏塔や廟を恭しく敬い、諸々の出家した男子に対し相手を敬って自分を控えめにし自分を高くする心を遠ざけ、常に智慧を心に浮かべてよく考え、難しい問答をするものに対しては自分の心に逆らうものを怒り恨むことをせず仏法の教えによく従い教えを説く。もしもよくこの修行を行うならば現世や来世に幸福をもたらすもとになる善行は計り知れない。
もしもこの法師がこのような徳を成就するのを見たならば、天華を用いて散じ天衣をその身に着せ、足を額に頂いて礼拝し心の中に仏を想うことのようにせよ。またこのように念じよ『遠からず道場に詣でて煩悩もなく因果の関係もない悟りを得て広く諸々の天人や人を利益しよう』と。そのような人が住む場所で心身を整えるために一定の場所をゆっくり歩きまわり、もしくは座ったり寝たりし、または一つの詩を説き、この中には仏塔を建立するであろう。厳かに飾り何ともいえないほど美しくして種々の方法で供養せよ。仏の弟子がこの地に住むならばすなわちこれを仏は受け入れて用いるであろう。常にその中に在って心身を整えるために一定の場所をゆっくり歩きまわり、座られたり横になられたりされる」

■ 主な参照文献
- 『現代語訳 法華経』(2025年11月刊」)
創価学会教学部 編(聖教新聞社)
※本文の構成・現代語訳・語義理解の確認に使用 - 『法華経』
坂本幸男・岩本裕 訳注(岩波文庫、岩波書店)
※サンスクリット原典の構造および仏教用語の学術的確認のため参照 - 『妙法蓮華経 並開結』
(鳩摩羅什 訳)
※漢訳原典に基づく章構成・ストーリーの流れの確認に使用