はじめに
法華経の第十四章にあたる「安楽行品(あんらくぎょうほん)第十四」は、迫害が多い末法の世の中で法華経を広めるために、修行者が身につけるべき四つの心構えと行動規範である「四安楽行(しあんらくぎょう)」が説かれます。
また、仏がなぜ今までこの法華経を説かず最後に説いたのかを、転輪聖王が最も優れた兵士にだけ与える頭の髷(まげ)の中の宝珠に例えた「髻中明珠(けいちゅうみょうじゅ)の譬喩」によって明かします。修行の指針となるこの章の全文を、現代語訳でお届けします。
第一の安楽行:身(行動)と近づくべき場所
その時に、文殊師利(もんじゅしり)法王子菩薩摩訶薩は仏に言いました。
「世尊、この諸々の教えを弘める事を誓った悟りを求める修行者(八十万億那由他の諸の菩薩摩訶薩)は、非常にありがたい。仏を敬い順い奉るために衆生を救おうと願って大きな誓いを立てました。仏の教えの衰えた後の時代において、この法華経を護持し読み節をつけて唱え説くであろうと思います。
世尊、悟りを求める修行者と優れた衆生は、後の仏法の衰えた時代においてどのようにしてこの経を説いたらよいでしょうか」
仏は、文殊師利にお告げになりました。
「もしも悟りを求める修行者と大乘を求める修行者が、後の仏法の衰えた時代においてこの経を説こうと思うなら、四つの規則(四安楽行)を守るべきである。
第一に、悟りを求める修行者の『行動(行処)』と『親しく近づく場所(親近処)』を守って、生命のあるものすべての為にこの経をよく演説すべきである。
文殊師利よ、どのようなことを悟りを求める修行者と大乘を求める修行者の『行動』と呼ぶのか。
もしも悟りを求める修行者や大乘を求める修行者が、侮辱や苦しみに耐え忍び心を動かさない境地を守り、柔和で道義にかない従順で荒々しいところがなく、心は動揺せず、また教えにおいて修行するものがもはや無く、あらゆる事物や現象がそのまま真実の姿であるということを観察して諸々の事理を思量し識別しないことを行わないならば、これを悟りを求める修行者と大乘を求める修行者のなすべき行動と呼ばれる。
どのような所を、悟りを求める修行者と大乘を求める修行者の適切な『近づくべき場所』と呼ぶのか。
悟りを求める修行者や優れた衆生は、国王・王子・大臣・役人の長に親しく近づいてはならない。諸々の異教徒・バラモン教における最高原理を志す者・ジャイナ教徒など、及び世俗の文章・詩を作る者、異教を絶賛している書物、物質主義的唯物論者・反物質主義的唯物論者などに親しく近づいてはならない。
また諸々の危険なことを楽しむ遊び、拳闘や相撲、あらゆる遊芸人達や種々に姿を変えて現れる催物に親しく近づいてはならない。
またカースト外の最下級の階層や、猪・羊・鶏・犬などを飼う者達や狩猟や漁をする者など、諸々の悪へ導く行いをなす者に親しく近づいてはならない。
このような人々が或る時に近づいて来たならば、彼らの為に教えを説いてもよいが、こちらから望んで近づいてはならない。
また、自己の悟りのみを求める出家男子、出家女子、在家信士、在家信女に親しく近づいてはならない。また、問いたずねてはならない。あるいは部屋の中においても、心身を整えるために一定の場所をゆっくり歩く場所においても、あるいは講堂の中においても、共に一緒にいてはならない。彼らが近づいて来たときには、相手に応じて教えを説いてこちらが強く願い求めてはならない。
文殊師利よ、また悟りを求める修行者と優れた衆生は、女人の身に関して欲想を取り除き、そしてそのために教えを説け。また見たいと願ってはならない。
もし他の家に入るなら、年の若い女・未婚の女・配偶者のない女たちと共に語ってはならない。
また五種類の男であって男の本性を欠いているものに近づいて親密な交際をしてはならない。
単独で他人の家に入ってはならない。もしも何かの理由で独り他人の家に入らねばならないときには、ただ一心に仏を念ぜよ。
もしも女人のために教えを説くときは、歯を露わにして笑ってはならない。心の中を表してはならない。あるいは教えのためであっても親密な交際をしてはならない。それ以外のことは言うまでもない。
年少の弟子・沙弥(見習僧)・小児を自分から養おうとしてはならない。また共に師を同じくしようと願ったりしてはならない。
常に坐禅を好み静かな所にいて、その心を受け入れることを修習せよ。
文殊師利よ、これを第一の親しく近づくべき場所と名づける。
また次に、悟りを求める修行者と大乘を求める修行者は、全てのものを観察するときに、空でありそれがありのままの姿であり、正しい理に反することをせず他によって心を動かされず、仏道修行の過程ですでに得た境地から後戻りしてはならない。
虚空のようであって固有の性質がなく、全ての言葉で説明の出来ないものであり、生ぜず、出現せず、起こらず、名もなく、姿もなく、実際には存在しない。はかり知れず、果てしなく、妨げがなく、何ものにもとらわれず妨げとなるものがない。ただ因縁によって存在しているだけであり、正しい理に反することに従って生ずる。
それ故に説くのです。常に安楽に一切の存在の高下・善悪などの特殊相があることをこの様に観察せよ。
これが悟りを求める修行者と大乘を求める修行者の、第二の親しく近づくべき場所であると名づける」
その時に世尊は重ねてこの意義を述べようとして、仏徳を賛歌して詩を説いて言われました。
「もし悟りを求める修行者がいて後の仏法の衰えた時代において、怖れのない心でこの経を説こうとするなら、なすべき行動と親しく近づくべき場所を守らなければならない。
常に国王と及び国王子、大臣と大臣の臣下と心がよこしまで荒々しい遊芸人、及びカースト外の最下級の階層、異教徒とバラモン教における最高原理を志す者から離れ、また親しく近づいてはならない。
未熟であるのに仏法の悟りを身につけたと誇る者、自己の悟りを第一とする教えに執着する経蔵・律蔵・論蔵の三蔵に深く通じた学者に親しく近づいてはならない。
戒律を破る出家得度して具足戒を受けた男子、名ばかりの阿羅漢、および出家得度して具足戒を受けた女性でふざけて笑うことを好む者、深く財欲・色欲・飲食欲・名誉欲・睡眠欲の五欲に執着して現在の身に生死の迷いを超越した悟りの境地を得ようと求める者、諸々の女性の在家信者にみな親しく近づいてはならない。
このような人たちが好意を持ってやって来て悟りを求める修行者の所に至って仏道を聞こうとするならば、悟りを求める修行者は即ち仏が法を説くときの何ものをもおそれない心をもって、何も望まずにその為に教えを説け。
配偶者のない女寡婦や未婚の女、及び諸々の男であって男の本性を欠いている者にはみな親しく近づいて親密な交際をしてはならない。
また屠殺者や死刑執行人、狩猟者や魚の漁をする者、利益の為に生きものを殺害する者に近づいてはならない。肉を売って自活する者、女色をみぜびらかして売る者、この様な人にみな親しく近づいてはならない。
心がよこしまで荒々しい相撲、種々の遊びや戯れること、諸々の好色な女達にことごとく親しく近づいてはならない。
独りで隔離された場所で女の為に教えを説いてはならない。もし教えを説くときは戯れて笑ってはならない。
人里に入って食べ物を乞うときは一人の修行僧を引き連れて行け。もしも修行僧がいなかったら一心に仏を念じよ。
これを即ち名づけてなすべき行動と近づくべき場所という。この二つのことに従って巧みに安楽に説け。
またまた、優れた教え・中ほどの教え・劣った教えという区別や、因縁によって起こる現象や因果の関係を離れ生滅変化しない永遠絶対の真実、真実なもの・不真実なものという区別をしてはならない。またこれは男であるこれは女であるという分別をしてはならない。
この世に存在する有形無形の一切のものを得ず、知らず見ず、これをすなわち名づけて悟りを求める修行者のなすべき行動とする。一切のこの世に存在する有形無形の一切のものは空であり存在しない、永遠でなくまた起こることも滅することもない、これを悟りの智慧を開いた者の親しく近づくべき場所と名づける。
諸々の事理を思量し識別する心の働きが正しい理に反して、この世に存在する有形無形の一切のものは有であるとか無であるとか、これが真実であるとか不真実であるとか、これは生であるとか生でないと識別するように心が働くのだ。
静かな所に身をおいてその心を修行し布施、愛語、利行、同事の四摂を行い、安住して動かず須弥山のようにせよ。この世に存在する全てのものを観察するときに、皆存在することはないのだと道理を悟れ。
あたかも何も妨げるものがなくすべてのものの存在する場所としての空間のようであり、堅固でなく、何ものも新たに生ずることもなく去ることもない、動かず退いたり失ったりしない。永遠不変であって一つの姿かたちである、これを近づくべき場所と名づける。
もし出家得度して具足戒を受けた男子がいて私が世を去った後に於いて、このなすべき行動と近づくべき場所とに従ってこの経を説くときには臆病な心があってはならない。
悟りを求める修行者が静かな室に入るときには、正しく絶えず忘れないようにして教義に従って教えを観察し道理を悟り、思いを静め心を明らかにして真正の理を悟るための修行から立ち上って、諸々の国王や王子や臣民、インドの四種姓の最上位の身分の婆羅門たちの為に新しい知識をわからせ演説しこの経典を説いたならば、その心は安穏であって臆病な心などはない。
文殊師利よ、これが悟りを求める修行者の初めの教えに満足して巧みに後の世において法華経を説くと名づける」
第二の安楽行:口(言葉)の行い
「また文殊師利よ、如来が世を去った後、教えが説かれるだけで修行する者もなく悟りを開く者のいない時期においてこの経を説こうとするなら、安楽行にとどまるべきである。
或いは口で述べて説き明かし或いは経を読むときには、人や経典のあやまちを説いてはならない。
また諸々の他の法師を軽蔑したりしてはならない。他人の善し悪しや長所や欠点を説いてはならない。
自己の解脱のみを得ることに専念し利他の行を欠いた阿羅漢を目指す修行者の名前を挙げてその過ちや悪を説いてはならない。また名前をあげてその美点を褒め称えたりしてはならない。
また怨んだり嫌ったりする心をおこしてはならない。よくこの様な安楽の心を修得しているからこそ諸々の聴衆はその人の意に逆らわない。
もしも難しい質問をする者があったら、自己の悟りを第一とする教えによって答えてはならない。ただ利他の精神によって衆生の救済を説く教えによって彼らの為に解説して、過去からの幾世代にもわたり生まれ変わった体験を通してその教えをきわめさせて智慧を得させよ」
その時に世尊は重ねてこの意義を述べようとして、仏徳を賛歌して詩を説いて言われました。
「悟りを求める修行者は常に願って安穏に教えを説け。清浄な地において足の付いた四角い台を置き、油を体に塗り塵にまみれた体を洗い清め、新しい清らかな衣服を着て内外共に浄らかにして法座にゆったりと坐り質問に従って説け。
もしも出家得度して具足戒を受けた男子及び女子、諸々の在家信士、在家信女、国王、王子、多くの臣下、士族と平民がいるならば、一言では言い表せないほど細かく複雑な教義をもって穏やかな顔で彼らの為に説け。
もし難しい質問があったら教義に従って答えよ。物事が生じる直接の力である因とそれを助ける間接の条件である縁と譬喩によって意味や趣旨をおし広げて説明し諸々の事理を思量し識別せよ。この衆生を教化救済するために用いるさまざまな方法によって皆に悟りを得たいという心をおこさせよ。
徐々に利点を増やし仏道に入るようにさせよ。怠け心と善行を修めるのに積極的でない思いを除き、諸々の憂いや悩みを離れて情け深いいつくしみの心をもって教えを説け。昼夜に常にこの上なくすぐれた道の教えを説け。
諸々の物事が生じる直接の力である因とそれを助ける間接の条件である縁と数え切れないほどのたとえ話によって、生命のあるものすべてに説き明かし示し悉く歓喜させよ。
衣服と寝具、飲食物と医薬、しかもその中においてのぞみ願うことをするな。ただ一心に教えを説くことの内的原因と外的原因を念じ、仏道を完成して多くの人にもまた完成させようと願え。すなわちこれが大いなる利益安楽の供養である。
私が世を去った後に、もし出家得度して具足戒を受けた男子がいて巧みにこのこの妙法華経を説くならば、心に嫉妬や自分の心に逆らうものを怒り恨むことや諸々の悩みや悟りの障害となるものがなく、また憂いや悲しみおよび口汚くののしる者もないであろう。また恐れることもなく刀杖を加えられることもなく、またのけものにされることもないであろう、忍耐にとどまっているためである。
悟りの智慧を開いた者はこの様によくその心を修めれば、よく安楽に留まるありさまは上に説いたようになるであろう。その人の現世来世に幸福をもたらすもとになる善行は千万億劫の間数えても例えても説きつくす事は出来ない」
第三の安楽行:意(心)の行い
「また、文珠師利よ。悟りを求める修行者や大乘を求める修行者が、後の末法の世の教えが滅ぼうとする時においてこの経典の教えを銘記して忘れず読み節をつけて唱えようとする者は、嫉妬心やへつらいや欺く心を懐いてはならない。また仏道を学ぶ者を軽蔑しその長所短所を探してはならない。
もし出家男子、出家女子、在家信士、在家信女が自己の悟りのみを求める者や独りで悟る者の立場を求める者や悟りを求める修行者の道を求める者、彼らを悩まし彼らの心を疑わせたり悔やませたりさせて、その人に話し『おまえ達は仏道からはるかに離れている。結局は仏の最高の智慧を得る事は出来ない。理由は何故かというと、おまえは気ままに振る舞う人間であり道において善行を修めるのに積極的でない心の状態を懐いているからだ』などと言ってはならない。
また、諸々の教えに関して無益な言論をして言い争って比べてはならない。
当然この世に生を受けたすべての生き物に対して大きな慈悲の想いを起こし、諸々の如来に対してはいつくしみ深い父親にたいするような想いを起こし、諸々の悟りを求める修行者に対しては大師の想いを起こさなければならない。十方の諸々の大菩薩に対しては常に深い心をもって恭しく敬い礼拝しなければならない。
この世に生を受けたすべての生き物に対しては平等に教えを説け。教えに従うということのために多くも説かず少なくも説いてはいけない。あるいは深く教えを愛する者にもそのために多く説いてはならない。
文殊師利よ、この悟りを求める修行者や大乘を求める修行者が末法の世の教えが滅びようとする時においてこの第三の安楽行を成し遂げる者は、この教えを説くとき悩み苦しんで心が乱れることはない。よき同学の者が共にこの経を見て読みそらで唱え、大勢の人が来て聴き、聴き終ってよく銘記して忘れず、銘記して忘れずよくそらで唱え、そらで唱え終ってよく説き、説き終ってよく書きもしくは人にも書かせ、経巻を供養し恭しく敬い尊重し讃嘆するであろう」
その時に世尊は重ねてこの意義を述べようとして、仏徳を賛歌して詩を説いて言われました。
「もしこの経を説こうとするなら嫉妬心や腹を立てることや高慢さやへつらい心や欺く心やよこしまな心や偽りの心を捨てて、常にじみでまじめな行いを修めよ。人を軽蔑せずまた教義への無益な言論を慎め。他人を疑わせたり悔やませたりさせて『おまえは仏に成ることを得られない』と言ってはならない。
この仏の弟子が教えを説くときは常に柔和であってよく耐え忍び、すべての者を哀れみ善行を修めるのに積極的でない心をおこしてはならない。十方の大菩薩は人々を哀れむために仏道を行ずるのだ。恭しく敬う心を起こすべきである『この人はすなわち私の大いなる師である』と。
諸々の仏や世尊に対してこの上ない父であるという思いをおこし、おごり高ぶった心を打破して教えを説くのに悟りの障害となるものがないようにせよ。第三の教えはこのようである、悟りの智慧を開いた者はこれを守護せよ。一心に安楽に行うならば数え切れない人々に敬われるであろう」
第四の安楽行:誓願(すべてを救う誓い)と髻中明珠の譬喩
「また文殊師利よ。悟りを求める修行者と大乘を求める修行者で後の末世に教えが滅びようとする時期に於いてこの法華経の教えを銘記して忘れずにいようとする者は、在家の人や出家の人の中に於いていつくしみ苦しみを救う広大な慈悲心をおこし、悟りを求める修行者でない人に対しては大きな慈悲心をおこしてこう思うとよい。
『この様な人はすなわちこれ大いに如来が用いるさまざまな方法や相手に応じて説かれる教えを失い、聞かず、知らず、気づかず、問わず、信ぜず、理解しない。その人がこの経を問わず信ぜず理解しないとしても、私が一切の真理をあまねく知った最上の智慧を得たときには、どこにいたとしても神通力と智慧力によって彼らを引きつけてこの教えの中に留まる事を得させよう』と。
文殊師利よ、この悟りを求める修行者や大乘を求める修行者で如来が世を去った後にこの第四の教えを成就する者があれば、この教えを説くとき過失があることはないであろう。
常に出家男子、出家女子、在家信士、在家信女・国王・王子・大臣・人民・婆羅門・在家男子らに供養し恭しく敬われ尊重され讃嘆される。虚空の諸々の天人は教えを聴くために常に後について仕えるだろう。もしも村や都市や人里離れた修行に適した場所や林の中にいるときに人がやって来て難しい質問をしようとしたなら、天人達は昼夜常に教えの為に付き添い守り、聴く者に皆よく歓喜することを得させるであろう。理由は何故かというと、この教えは一切の過去・現在・未来の諸仏の神通力によって守られているからである。
文珠師利よ、この法華経は数え切れないほど多くの国の中においてもその名すら聞く事は出来ない。ましてそれを見て教えを銘記して忘ず読誦することなどは尚更のことだ。
文殊師利よ、例えば強力な転輪聖王が人を恐れ従わせる力によって諸国を降伏させようとするとき、小王達がその命令に従わなければ、その時に転輪聖王は種々の兵を起こしてそこに行き討伐する。王は兵士達の中で戦いに勲功のある者を見て大いに歓喜して功に随って賞を授ける。或いは田や家や村や町や都市を与え、或いは衣服や身を飾る装飾品を与え、或いは種々の珍宝・金・銀・瑠璃・シャコ・メノウ・珊瑚・琥珀・象・馬・乗物・召使いの男女・人民を与える。
**髪の毛を頭上に集めて束ねたところ(髻)の中にある透明で曇りのない宝玉のみは、ただ唯一与えない。**理由は何故かというと、それは独り王の頭上にこのたった一つの珠があるからだ。もしこれを与えたならば王の諸々の一族の者は必ず大いに驚き怪しむように。
文殊師利よ、如来もまたそれと同じである。精神を集中し三昧に入り寂静の心境に達し智慧の力によって教えの国土を得て、欲界・色界・無色界の三つの世界の王となる。しかし諸々の仏道修行や善事を行おうとする気持ちを妨げる天魔の王はあえて従わず降参しない。如来は仕える賢者の諸将と共に戦うが、その中で勲功ある者には心に歓喜して、出家得度した男子女子と在家者の男子女子の中でそのために諸々の経を説きその心を喜ばせる。禅定・解脱・煩悩のない五つの感覚器官の働きと悟りに至らせる五つの力という諸々の教えの財産を授け、生死の迷いを超越した悟りの境地を得たと言ってその心を導いて皆歓喜させる。しかし、そのためにこの法華経を説く事はない。
文殊師利よ、転輪聖王が兵士達の中の大功ある者を見て心は甚だ歓喜して、この信じ難いほど貴重な宝珠は久しく髻の中にあって妄りに人に与えなかったが今これを与えようとしている様に、如来もまたそれと同じである。
欲界・色界・無色界の三つの世界の中において大いなる教えの王である。教えによって一切の生命のあるものすべてを教化する。賢者・聖者の軍が物質・感覚・表象・欲求・識別の五つの積集に基づく悪魔(五蘊魔)や煩悩による悪魔や死魔と戦って大きな勲功があり、貪欲・憎悪・無智の三毒を滅ぼし欲界・色界・無色界の三つの世界を出て悪魔を打ち破るのを見て、その時に如来もまた大いに歓喜して、この法華経は生命のあるものすべてを一切のものについて完全に知る智慧によく至らしめる。一切の世間には多くの怨み多く信じることは困難であるのでこれまでは一度も説かなかったが今これを説く。
文珠師利よ、この法華経は諸々の如来の説かれた第一の教えであり、諸々の説かれた教えの中で最も深遠である。最後に授け与えられる理由は、かの強力な転輪聖王が長い間大事にしてきた透明で曇りのない光り輝く宝石を今与えるようなものである。文珠師利よ、この法華経は諸仏如来の秘密の蔵であるから諸々の経典の中で最も上にある。衆生が煩悩のため悟りが開けず生死の境界にさまよう間も守護して妄りに説かなかったのを、はじめて今日においておまえたちの為にこれを例などをあげて詳しく説明する」
その時に世尊は重ねてこの意義を述べようとして、仏徳を賛歌して詩を説いて言われました。
「常に侮辱や苦しみに耐え忍び心を動かさなず、この世に生を受けたすべての生き物を悲しみ哀れんでそしてよく仏の讃嘆される経を説く。入滅後の仏法の衰えた世にこの経の教えを銘記して忘れない者は、在家者と出家者と悟りを求める修行者でない者に対していつくしみ哀れむ心を超こせ。これらの人々はこの経を聞こうとも信じようともしない、それはつまり大きな機会を失ったのである。私が仏道を得て諸々の衆生を済度に近づけるための巧みな方法によって、それによってこの教えを説きその中に変わらず留まるようにさせよう。
例えば強力な転輪聖王は、兵が戦いにおいて勲功があれば諸々の物を与える。象・馬・車・乗物、身を飾る装飾品および諸々の田や家、村や都市を賞として与える。或いは衣服、種々の珍宝、召使いの男女や財物を与え歓喜して与える。しかしもし勇ましく健やかで処理するのが困難な事柄をよくこなした者には、王は髻の中の透明で曇りのない光り輝く宝石を解いてこれを授ける様に、如来もまたその通りである。
如来は諸々の教えの王である。侮辱や苦しみに耐え忍ぶ大いなる力と智慧の教えの蔵があって大慈悲心をもって教えに従って世の人を教化する。全ての人が諸々の苦悩を受け悩みや迷いなど煩悩の束縛から解き放たれて自由の境地に到達することを求めて諸々の悪魔と戦うのを見て、この生命のあるものすべての為に種々の教えを説き、教化救済するために用いるさまざまな方法を用いてこの諸々の経を説く。
既に生命のあるものすべてがその力を得た事を知ると、最後にその人々の為にこの法華経を説くことは、王が髻の中の透明で曇りのない光り輝く宝石を解いてこれを与えるのと同様である。
この経は尊ばれ全ての経典の中で最も上である。私は常に守護して妄りに説き明かし示すことはしない。今は正しくその時であるおまえたちの為に説こう。私が世を去った後に仏道を求める者が安穏にこの経を大勢の前で説きたいと思うなら、当然このような四つ規則に従うべきである。
この経を読む者は常に憂いや悩みがなくまた病気や痛みもなく顔色はとても白くなり、貧しくて生活に苦しみ身分や地位が低く卑しく醜い姿には生まれない。生命のあるものすべてが見ようと願うさまは賢者や聖者を慕うようであろう。天人の諸々の童子はそばに仕えるであろう。刀や杖は触れることもできず毒も害する事はできない。もし人が悪口で罵ったなら口は閉じてふさがれよう。歩きまわって畏れないさまは獅子王のようであり、智慧の光明は太陽が照らすようになるであろう。たとえ夢の中でもただ素晴らしいことのみを見る。
諸々の如来が御子座に坐って、諸々の出家した男子に周りを右回りに歩く作法で礼拝されて教えを説いているのを見るであろう。また龍神やアシュラなど数はガンジス河の砂の数の如く多く恭しく敬い合掌し、自らその身を見ればすなわちその為に教えを説いている自分を見るだろう。
また諸仏は身体の姿が金色であり無量の光を放って一切を照らし、清らかな音声によって諸々の教えの道理や意義を説き明かし、仏が出家者や在家者の男女の為に無上の教えを説いている。わが身を見ればその中にあって合掌して仏を讃え、教えを聞き歓喜して供養をなして仏の説くところをよく記憶して忘れない陀羅尼を得、仏道修行の過程ですでに得た境地から後戻りしない智慧を証明する。仏はその心が深く仏道に入ったと知って、その為に未来世の成仏の証言を与える、真の悟りを完成するであろうと。
仏法に帰依した男子よ、まさに未来世において無量の智慧ある仏のすぐれた教えを得て、国土はおごそかで汚れなく広大なこと比べるものもなく、また出家在家の男女の仏弟子があり合掌して教えを聴くのを見る。また自分が山林の中にあってよい教えを習い身につけ諸々の真実の本性を証明し、深く冥想に入って十方の仏を見奉るのを見る。諸仏は身体が金色であり百の福相に飾られている。教えを聞いて人の為に説いている常にこのようなよい夢を見るであろう。
また夢の中で国王となり宮殿や一族の者や優れた財欲・色欲・飲食欲・名誉欲・睡眠欲を捨てて道場に行き、菩提樹の下にある獅子の座に座り道を求めて七日を過ぎて諸仏の智慧を得、この上ない道を完成し終って立って仏の教法を説き四種の仏弟子の為に教えを説く。千万億劫を経て煩悩のない優れた教えを説き無量の生命のあるものすべてを迷いから救う。その後に永遠の平安に入るさまは煙が尽きて燈火が消える様である。
もしも後の仏法の衰えた時代の中においてこの第一の教えを説くなら、この人の大いなる利益を受けることは上記の諸々の現世や来世に幸福をもたらすもとになる善行のようになるであろう」

■ 主な参照文献
- 『現代語訳 法華経』(2025年11月刊」)
創価学会教学部 編(聖教新聞社)
※本文の構成・現代語訳・語義理解の確認に使用 - 『法華経(上)』
坂本幸男・岩本裕 訳注(岩波文庫、岩波書店)
※サンスクリット原典の構造および仏教用語の学術的確認のため参照 - 『妙法蓮華経 並開結』
(鳩摩羅什 訳)
※漢訳原典に基づく章構成・ストーリーの流れの確認に使用